よる

床屋とアマゾンと済んだ。
 
なんというか。愛なのか。わからないけど多分愛ではないか。基本が。
 
今日なにをしていたのか。覚えてるのか。
あっちいってこっちいって。書類をうけとって。頭を下げて。
 
家にいって。お話して。 歩いて。 寝たきりで。起こして。 
 
お話して。お話が優先なのか。多分そうだ。お話すると気持ちが変わることがある。勇気がつく。とか。
 
そしてラジオをきく、録音したラジオをきく、毎回欠かさず録音することにしているものがあり全部を聴いているわけではないが月火水木を毎週4回必ず録音しているセッション22のミッドナイトセッション、
ときどきランダムに聴く。
そして貴重なものを聴いて感銘をうけるわけだが。感銘というか。重いものとか。
 
このたびきいたのは写真家の高橋宗正さんが「石をつむ」という写真集を出したことの回である。
http://www.tbsradio.jp/13878
セッション22にその高橋さんが出て喋っていた。
 
喋るというのは声があることで、ある意味特別である。声。
 しゃがれ声、高い声、低い重い声、堅い声柔らかい声、通る声、濁る声、   透き通った声。
 
 高橋さんは友人が突然自殺してしまってそのあとにショックを受けたことを語っていた。弱音を吐かない男が突然自殺した。なぜ死んだのかわからない。贖罪意識が消えない。
 
 そして写真集石をつむができた。さいごはスペインだそうだ。
 
 人間が死について死をどう扱うのかについては考えるだろう必ず。なぜなら全ての人が主体としてかならず死を経験するからだ。本人の経験として、そして死ぬ主体として。
 
 女子が生命を産むことの尊いことは死の対偶として生を新たにここに現わすからだ。