昨日のつづき

目に見える疾病と目に見えない疾病があり 

「気持ち」は精神に分類されて

 

気持ちが傷ついたというのが代表例では

セクシュアルハラスメントと言われるセクハラ発言により傷ついた

気もち

 

そういうわけで目に見える傷ではなくても「傷ついた」はあり得る

とする立場

 

じゃあエロ漫画がこの世に存在することで「傷ついた」と主張する

のはどうなん

 

あんたがそれ見ないようにして

ゾーニングがされていれば

いいんじゃないの

 

エロ漫画と会田の美術講義は同じではないが

違うのは講義は「自ら進んで」受けにいったところだなあ

 

うまい言葉はみつからない

 

 しかし根本にあるのは

そこにいるのは他人であるということで

社会とは他人のあつまり

 

他人にたいする配慮と

自己に対する配慮はなるべく同等に行われるべき

 

隣人は他人であるが同時に人間であるので

自己への配慮とおなじく

配慮されるべきであるのはわかりますし

エロ漫画がきらいな隣人であれば

オレのエロ漫画はなるべく隣人の目に触れないところで

楽しむし

壁に掲示とかしませんし

 

そういうことじゃないのかね

 

それを楽しんでいる人と

それを嫌がっている人が

同時に同じ空間に存在しないようにするのがゾーニングではないか

 

この世から消し去ってしまえというのはアポカリプスであり

絶滅政策であり

強制排除である

 

強制排除していいのは病原体と病原体に罹患した家畜であるが

あたかも人種を病原体であるかのようにプロパガンダする団体が20世紀に

存在して猛威をふるったので

 

それ以降人類はそのような比喩を使うやつをとにかくみつけて叩き潰すように

なった

 

なにしろそれはどうも類種を生み出すのである

 

しかし美術や漫画の界の辺縁で

表現の中にエログロスプラッタスカトロその他が登場する場合に

それは特定の何かをターゲットとするために表現しているか?

してはいない

 

ただそのような観念が脳内にあってそれを吐き出さないと

どうにもならない美術家と漫画家がいたのだと思う

 

それは他の場所でも同じで

言葉にしたり

それ以外の行動にアクションにして吐き出すことは

誰にもとめられない

どのような内容であったとしても