午前

スマホ

裏が

膨れてきた

電池が経年劣化による膨張

交換時期の

しるし

 

 たびにでた

まいど

金あればやっほー

なかりせば

蟄居

  

ホームで一番搾りを飲み干して

鈍行2駅

新幹線

逃避したいことが多く旅も多い

 

これはこのままいくしかない

のか

どうなのか

 

どうなのか

 

自問自答 

 

これでいいという境地はどこにあるかって

それを探しているのだとしたら

それはちょっとたぶんないだろう

ユートピアみたいなもんで

定義的に存在しても実在しない

 

 というわけで

今日は20190601で

アレが20190528(Tuesday)で

まだ4日目だが

おそるべきは人間の記憶や認識の構造で

もうなんか過去に分類されてきているのであった

あのエピソードが

 

もちろん生存のためにはそのように脳で処理するほうがいいに決まっている

脳は判断(処理)のルールとして

生存を最優先している

オレ
(主人)の生存である

 

あたりまえのすけ

 

すみっこ指摘の介

 

しかしそこは帰らない返らない還らないpointであって

墓標でもあるし

 

いつも脳がそこを覚えている

もちろんその前に宮古市で警察にご厄介になったことも覚えている

(そろそろ書けるので書くが

要は

一般の駐車場で

商店集合地の駐車場で

オレは社用車で

隣は知らない人の車で

オレが社用車のドアをあけておりようとしたら強風で

ドアは大きくあおられて隣の方の車のドアミラーをこすって

オレの車のドアにもこすり跡がついて

つまり物損でありまして

しかしそれを通報即行うべきをためらい

ためらってかくしておきましたが良心の呵責というやつが責め立てて

いたので何か月か後に警察に出頭して調書はつくってもらったが

被害者がわからないわけですね

それでいわゆる材料不足で民事も刑事も発生しなかったわけだが

それはもちろんそれだけのことで警察からはお叱りをうけましたし

業務の上での上司の上司にもおことばをもらいましたし

そういう話

もしこれがもっと大きい破損’あきらかにドアが凹んでいるとか

そいうものであればもちろんこれは事件なのですが

 

それ以来どんなときでもドアを開ける際は強風にあおられて大きく

開きすぎないように手で押さえる抑えるようになった

という習慣で

 

ドアにかぎらず車は危険物で決して身体の拡張なんかではない

 

それにつながるかどうかわからんがスマホもまた脳の拡張なんかではなく

ただのツールである

 

ABEMA-TVでやっていたしくじり先生はるかぜちゃん回(完全版)を見た

 べつにはるかぜちゃんが他のしくじり先生のような

バカなことをやっていたとは思わない 

 テレビなので面白くなるように仕立てているように見える

 でも一寸だけはるかぜちゃん自身にとっても学校という場所が

なにかどこかもうちょっとどうだろうわからない

 なぜならいまのはるかぜちゃんが通信制高校を出て

舞台で演劇して

すごく充実しているように見えるからである(あくまでSNSの上だけですが)

 

というか問題は「自分で決めたり選んだりしたことを実現したりしている」

「なるべく自分にとって好みでないとか嫌とかなことが人生に遭遇していないことをよしとする」ような傾向を適えていくべく行動するのが人生における人生のやりかたのことだと思われるので

というのはエピクテトス先生がそう言っていたので

 

何も持っていない

 

みたいな

 

子をもつ者を羨むことはあるが

それでいけば

子はその者の物ではなく他の物なのでそれに属するものではない

 

とはいえその話ばっかりしているというのはよっぽどそのそれ(子)が

好きなんでしょうね

 

好きってなんでしょうか

 もちろん好きであるためにはそれは「自分や自分に属するもの」ではない

 ことが 

 条件だと思うのだった

 自己愛とは違うのだから

 

 とかいって

 

そろそろ新幹線が東京に近づくよ

 

愛とか愛はあるしまた無い