備忘

振り返りを書くのは

「突然なにかhappened」に備えるという意味があり

 

なにしろ人間は突然事件がおきて

なにかすべてが変わる泊まる切れる変わることもある

 

ガンとか発覚したり

 

いきなりわかるし歳月人をまたず

 

俟たず

 

だからべつにとつぜん事故死やアクシデント死(同じです)

が起きたとしても

WEBに公開しているこの日記はのこるわけですね

 

そういうもんで

 

まあこれまでは

最悪というほどではなかった

とりたてて

言えば

最高の

最上の記憶さえもあった

あったんですよ

ということを書いておけばまあまあだ

 

あとはいい意味で余生なので

何がどうなってももうあまりなにも変わらない

 

さてここからはこれからの話なのだが

 

ニーズがあってもそれが満たされない場合というのは

ニースがある側のほうが「選好」とかなんやら

選択性みたいな「強者の戦略」を持ち出すことが

崩壊のはじまりみたいなところがあると思うの

 

たとえば無医村に医者がきても

その村の住民が

医者に対して無理難題をふっかける

そしてそれに耐えられなくなった医者は村を去る

 

移動販売の車が来てくれるのだが

来られた側の客が

品物についてあれは無いのか是は無いのかと問うた上で

どれももう売り切れてると知ったら「もう来るな」と拒絶

 結果としてその客は何も手に入らない状態である

 

無医村と移動スーパーを同じ棚に並べるのは無理があるかもしれないが

 

根本は同じところにあるような気がするのである

 

まあ医療に関しては日本は年々厳しくなっていき 

 

「予約なき患者は看ない」

とか病院が言い出す始末

緊急性のトリアージは病院側が行うのであって患者側ではない

とかいうのである

ニーズ(「看てくれ!」)は無視

所詮患者(当事者)にはその判断はできないでしょ

看る対応側は忙しいんですよ数の配分は政治ですよ

と言っているのである

 

へえ

 

移動スーパーにしても

動けない(移動の自由がない)(手段を喪失した)受け手のところに

サプライが移動してきてくれて

しかし選好が働いて

「ほしいものがない」とかいうのであるが

ほしいものが何かをあんたはサプライヤーに伝えていないね

伝える手段や伝える方法やかんたんにそれをつたえる

 

COOPがやってる宅配の

注文のバーコード塗るやつね

 

あれはね

 

あれはそれなりに成功しているように見えるけど

おおきい組織でないとあれをこなすコストをペイできないのかね

 

流通の研究