そして明日は3.11
である
9年経った
思えばその日はオレは長野県佐久市の病院で勤務していたのだった
あれがそこから理学療法士協会fax通信を経てオレを
宮古市へと導いたのであった
オレがもし宮古市にいかない運命があったとしたらと思うと
ぞっとするし
オレはおそらく死んでいるくらいのダメっぷりだっただろう
死んでいる
実質的に死んでいる
いま生きているのは本当に
つなわたり
そう
死んでない
たまたま死んでいないのだ
津波はどーんとやってきて
死をもたらす
一方で生き残った者もまた
どこに住む
住むところ
そこは天国ではなく
この世
現世だ
地元とか地元愛とかそういうことばが
オレは大嫌いなのだが
要は思考停止がきらいなのだ
理屈で説明できないだろおまえら
しかし生まれ育ったところを愛する気持ちがあるのはわかる
そこをどうにかしたいと
思う人間
そこは
オレはそこに生まれたわけではないがそこを
宮古市のその後のその後も見ていきたいと思っている
いまでも
これからも
たぶんずっとになると思う
佐久市はそれほどではない(あっちはさくったーの皆さんに任せて
おいていいと思う)
ときどきは過去を回想する