yoru

もともとキャンプとキャンプの合間(谷間)で

何も予定を入れていなかったのが幸いして

風邪を治療まで導くためのひきこもり2日間となったこの

土日であった

 

柳美里さんが南相馬で「聴く」器となって

それが著作になってあらわれたというかそういう話の

記事が新聞に出ていたが

それができるのは

やはり「無償でわざわざ聴きにいって人間と対峙して

話をひたすら」きくだけの

ちからがあったからだし

それをやりのけるのは

並大抵の人間の力ではないと思う

大抵の場合は「そこまでできない」と途中で(はじめで)

思うだろう

そんなに他人のことにいれこむ(利害なしに)ことは

なかなかぜんぜんできないしオレもそんなのできないなあと

思む

 

しかし人間のすることであればできるのかもしれない

なにをか

何をかは分からんでも

 

なんかこう

地域に貢献するなんてことを

書くと絵空事にも聞こえるのだが

実感として

宮古市で感じたこととして

なんらかの業務を懸命にやることはそれ自体が

地域貢献でもあるとおもったのよ

それが何職であってもすべて 

 

柳美里さんが書店をひらいたのもそうだと思うんだ

 

なんでも

 

農業でもなんでもその地域へ

わざわざ出かけていってそれをするということは

意味や意義があると思うんだ

たぶん

 

わかんないけどね

 

あとは日曜の恒例として

新聞の歌壇・俳壇をじっくり車で読んだ

あさに

河原の駐車場で読んだ

あさひはじわじわと登っていくところだった

 

俳句や短歌をそこに送ってくる人たちの声が声として

そこにある

老人がそれでもバイトをやるよという現実や

家族を亡くして後のことや

日々の生活で学生が感じることや

なんでもある

そこには他人の声があふれている

それを毎週読むわけである

新聞はどんどんなんかいわゆる報じることから離れていっているが

それはこっちがメガネをかけて

この新聞の意見として受け止めるしかないし

それ以外の

新聞小説と文藝とそれから

その人の意見みたいなもの

ネットではなかなかみかけないものを

探していくしかないと思うのよ

 

 新聞小説

いま主人公が

妹(なんかしらない男の精子をうけとめたので身ごもってしまってそれで主人公(その兄)は妹に昔からの知り合いの男性をうまくあてがって夫となってくれ秘密を守ってくれとお願いしてそれは了承されてはたしてその妹の子は産まれたしキリスト教徒となって洗礼をうけ・・うけたのか?)を案じてまあひとまず秘密は隠されていて当面安心しているところまでである

主人公は死の床から自分の人生を回想しているという体の小説なのである

さて

最終的にどうなるのかねえ 

主人公は日本海軍の体罰主義をよくないものと思っていても改革とかをするわけではなく傍観するだけのやつである

そういう事実もあるね