佐川美術館

むりくり3週連続で美術館もうで

している

 

今週は佐川美術館(滋賀県守山市)です

 

まあ名建築だっていうから

 

気が付いたら日本の名建築の美術館もう7つくらいはいっているぞ

 

地中美術館

豊田市美術館

金沢21世紀美術館

十和田市現代美術館

青森県立美術館(雪!)

国立新美術館

豊島美術館

 

横須賀だっていいところなので入れてください

 

さて

  あさ6時に家を出るのは

下道では少々おそかった

下道で名古屋を国道23

抜けるのは無理すじで

渋滞しきり

 

最終的に四日市から高速のって甲賀あたりでおりて

国道1号にはいり守山へくだる

国道1号ってあれか東海道

つまりそこ通っているんだな(JR東海道本線ではない 滋賀県ではあれは中山道ということになる)

 

はたして佐川美術館は山の中ではなく湖(びわこ)の

ほとりであった

 

池がひろいが

 

なんというか写真マジックで

 

そこまで荘厳でも絢爛でもない

 

でも水がひかりをうつすのはいつも変わっていくんだろう

 

常時3人の大家のものを展示する

平山郁夫

佐藤忠良

15代樂吉左衛門(いまは直入)

しょうじきオレは平山郁夫のどのへんが大家で巨匠であるのに値するの

よくわからない

でもラクダが2頭いる絵はきれいでかわいいなと思った

そのくらいです

サラエボの廃墟の前に立つこどもたち

を描いたやつはでかくて

すげえなとは思った

オレの感想なんてそんなもんです

 

佐藤忠良はブロンズの人ということだったが

彫刻のためにまず自然のデッサンだと

いうておられた

そうで

デッサンが正直ものすごい

自然の樹とか枝とか

幹から直で出る枝や葉

デッサンがすごいなんか写実でこまかくて線が

線が生きてるというのはそれはたぶん陳腐なことばだけど

それはそうとしかいえず

線で描かれた樹は写真よりももっと生きている感じがした

 

プラムの絵があり

これはデッサンに色がついていた

果物が

女性にしかみえない

綺麗をとおりこしてエロスを感じる

喰いたい

そういうかんじ

そういう感じでよくみたらこの方は

絵本「おおきなかぶ」の絵の人だった

なるほど記憶ある

 

15代目樂(略)さんは

それだけ別棟に地下の展示室にあって

なんかもうわかんない

 

天まどからわずかに光がはいる

しかしそれ以外はほとんど暗い展示室に

茶の碗が展示されているのだが

手ひねりで

あとはもうこれがどうしてこれが

なんちゅうか

「すばらしいもの」で「一子相伝」の茶の碗だというが

どのどこがどうすばらしいのか全くわからないし

美術としてきれいなのかどうかもわからないし

オレにはこれは具象ではなくてなにかをあらわした抽象にみえるし

そのわりには具体的な碗の名がついているのである

なんだなんなんだこれはである

 

わからんもんはわからん

 

あと特別展が

今森さんという切り絵と写真の作家の人が

びわこ西岸の棚田とかのあたりに土地を

購入してなんかガーデンとかつくったり

自然活動と芸術活動とかしているのであるのだそうで

その展示だったが

ことばが多すぎて

しょうじき

きれいな写真の風景とか切り絵もきれいだけど

それをどう感じるかは見る人にまかせたらいいのに

作者がキャプションつけすぎでそこが醒めるのであった

 

きれいすぎるというか

 

ゆいいつ救いだったのはこの人が

のように地味な羽のものもとりあげてくれていたことで

 

なんかきれいきれいしたものは飽きるのである

 

それこそ

ボイスの「橇」とか

ぜんぜんきれいきれいじゃないし

そういうのがオレは好きなんだろと気がついたのである

 そういう趣味でもいいわけで

なんでもいい

 

なんでもなにかわからんなりに何かを見てみるのはいいことだ

 

疲れるけど(運転が)

 

運転中に疲れてくるのだが

なんかこうなんども聴くものがあり

「(通称・ヤンマーニ)nowhere”」

とかいま聴いても泣けてくるし

 

あとは

都甲先生のやつを何度もきいていて

 

イーユン・リー「優しさ」の

解説を何度もきいている

ある種の人間は

過去にあったことや

過去にありえたかもしれない可能性など

少しでも甘い記憶を何度も反芻しないといきていけない

いまある現実だけでは足りない

 

そのことを考えるだけで

 

そういうことを何度も考える