ゆう

ジムいった風呂はいった

えらい

夕食調理中

 

さて

 

用語が単純なのでかえって展開しにくい

「わかる」「わからない」「わかり合う」「わかり合わない」

「わかり合えない」ということなのだが

そもそもなぜわかり合う必要があるのか

そうしたいなら別だが

そうでなければそうしなくてはいけない理屈などない

わかり合わなくていいのだ

我々の社会はそれぞれが別個に生きているに決まっているし

なあ

それはオレはあまりにそのままストレートにそう信じているので

かえって理屈のベースをつくるのが難しいのである