よる3(つづき)

よる2

のつづきですが もしそうだとしたら

 

人見知りで言葉をあやつって言葉と心中するような人は

なにも

他人との関係性を自分から結ぶということは一切できないことになるね

それで他人のほうから来ることはあるんだよ

そういう意味では人望があるんだよ

でもなかなか他人へと向かうことは

しない

友人はいるんだけどね

遊びに他人をさそうなんてことはそんなのみたことないね

(わたくしなんかとあそんでもつまんないだろ・・・)

みたいなことかしらん

 

(追記)

日付がかわって次の朝になって20220114の朝なんだが

このことをつづきで考えているのである

つまるところ

そういう人(槙生ちゃんのような人)は

「生きづらい」のであってなんでかそれは本人の資質ではなく社会が

そういうのを排除するように動いているから

生きづらいのである

悪いのは社会である

 

ここでいい悪いの話にすると話はやりにくくなるので

違う方向にする

 

結局はスペクトラムなのである

はっきりしたA/Bの区切りなどはない

Aという傾向とBという傾向があり

それぞれをどのくらい持っているのかという濃度の差が

虹のように無限にその割合の区分があるだけのことであって

つまり微分のグラフのようにうねっているのである

 

だいたい多くの人は本音があってもそれを隠して

社会で

仕事するときは仕事ですからという顔をして

仕事で話さなければならない人を相手に

仕事的な会話をすることができるのである(用件を中心に)

槙生ちゃんだってそれはできるのよ

 

ただそこには濃淡があり

用件を話しながらやたら愛想がいいとか

やたら自分のプライベートのエピソードを垂れ流すとか

相手に質問してくるとか相手に頼んでないアドバイスめいたことを言って

くるとかあるんだよ

そういうのは仕事にそれらを塗り込め紛れ込ませてくるようなやつで

そういう分子こそが「巧みで円滑なあたたかいコミュニケーションで良いこと」

だとでも思っているのである

おおいなる誤解であるが一生それをわかんねえで生きていくんだろうな

日本社会の最悪なところはそういうことに検証が起こらないところである

ああまた「日本」とか言ってしまった

おおきくするとろくなことが

ない