映画「偶然と想像」について

「偶然と想像」みれた

 

 

下世話なことだけ書く

二話が興奮したし大きな変化に喝采したくなったし怒りで殴りたくもなった

一話と三話は1回みただけではオレにはわからん

とくに三話の最後が3つ解釈を考えてしまって

しかもどれも不正解な気がする 

三話が一番なんだろう顔をみてるだけで違和感強く

 

俳優の顔に文句いうてもはじまらんから詮無いこというてもうたが

 

なんかこういうこんな顔の人って本当に実在するの>_?

 

って思ってしまったんだよ

それこそたとえば片桐はいりさん(例にだしてなんですが)の

ような顔って滅多にいないと思うんだけどまあそれこそ

そういう顔ってことじゃないですか

わからない

どういう形容詞で言うとオレの違和感に名前をつけることが

できるのか

とにかく

 

なんかこういうこんなにこんな人が本当にこの世に

いるのか?

と思ってので

いやまあ

いるか・・・いるかもね

あらためて

(いま公式のHPをみていて)

 

まあ

 

誰もがそれに賛辞をおくっているでしょう

 

なにしろ今をときめく監督の作品だから

 

なんかね

 

オレは

 

わからなかった

 

3話がとくにわからんかったが

1話と2話だって相当なもんだ

 

1話は「実際にはこのことは起こらなかった」ことを映像にして

出しておいてそこから急激なアップを経てもう一回こんどは

「本当はこういうことが起こりました」というのが流れるのである

映画でこういうことする人たまにいるけど

いつも思うのだが

解釈こそ観客に委ねられているのかいないのかしらないが

そういうことをしていいとして

かえって面白くなって

いるのか?

オレは面白くなっているかどうかは疑問だと思っている

映画には

マンガの雲にてんてんの「思っていること」の決まりのフキダシが

ないからね

 

2話は興奮するし興奮が全てではないでしょうか

もちろんそれは俳優が

俳優の動きと声がそれをつくってエロス空間をつくったのが

成功したっていうことだと思う

それだけでいいんじゃないのかとも思う

 

3話はこれでいいのかと思うが

SF設定で

メールも何もつかえないし

映画配信もできない世界

円盤は〒で注文したのかしらね

カタログ販売時代だわ

仙台駅なつかしいね

 

小林さん(仙台在住二児の母で配偶者ある)

しあわせかどうか自分でわからないのはずるいし

なににも血がたぎらないのは自分の責任で

そういう不幸の味をぽっとそこに置くのは

オレはそれは細工としてはおかしいような気がする

偶然会った人間に

偶然会った人間だから他の人間には話さないことを

話せる

ことにしているのは

しているんだけど

それでなにか

うまれているのだろうか?

なにかよい映画的なミラクルはうまれているのか?

オレにはミラクルは見えないしさらに

偶然が

もたらすものに頼りすぎ

じゃないかとさえ思う

 

もう一回映画をみたら違う感想かもしれないしそうではないかもしれない

パンフレットがうりきれで

 

スタンプカードが制度終了になってるにもかかわらず

話してたら映画館の人に

とくべつにスタンプおしてもろたんで

かえってもういっかいいってパンフ買う

ことをせなあかんなくらいに

思ったりもしているが本当にいくかどうかはわからない