シオランのファン

シオランを好きな人だれがいるのかなと検索すると

すぐまずこれが出てきた

1480夜 『異端者シオラン』 パトリス・ボロン − 松岡正剛の千夜千冊

なるほどこの人か

なんちゅうか伝統につらなる人ではあるのね

異端の名がふさわしいというか

 

日本で異端とか流転とかがなじむ人って

どんなもんかというとなんかこう

イメージがすこし変わってくるというか

もうちょっとスタイルが違うというか

小説家になって反骨でやってくか

思想家なんだけど大学とかにはいないで山にいるとか

 

ほんとうはいるんだろうけど日本人の思想家が宗教について考え抜いて

というイメージがない

もちろん日本人の宗教家はいるわけだがそれでもその人は宗教のプロパー

としての宗教思想と実践をしているようにみえてそこから出てきて

社会にひろく宗教的視点で思想を説くという人がいないような気がする

 

ぜんぶうっすいイメージで言っているんだが

たとえばオレでさえ「ディスタンクシオン」を日本語で読んで

その社会調査の方法と結果をみるだけでこれだけの

丹念な(執念深いというか細かいというか偏執的というか)調査を

行っているから言うことに説得力がでてくるというか

それもやはりフランス人なのである

 

ドゥルーズがオレが調べていることのあちこちの分野に顔を出すのも

ドゥルーズがすごく原理というか思想の根本のほうにおりていく能力をもって

いたからそれが結果として後世でこのように多方面からサーチされるようになって

いるのではないか

ドゥルーズの根本思想が何ですかと聞かれたらこたえられないので

それはオレが浅はかなだけなんだけど

 

仏教の根本思想は無ですよ無

それいがいないでしょう

なんにもないんですよ

 

シオランも仏教をみてしかし仏教徒にはなれないと言ったんだってさ

 

なんというか西洋のキリスト教とかのイメージは全身全霊を

「神」に捧げるみたいな感じがするんだけど

なにしろ仏教は無だから根本としてはそこにあるのは論理をつきつめたら

なにも無かったというかんじで

無いところに捧げてもしょうがないだろう

ってどうかしら