というわけでひたしらPODCASTさかのぼり
である
尼は泣き坂である
昨日のそのご
1430くらいのスタバはめちゃめちゃ混んでいて
やはりオレの妄想予想では幼稚園保育園のおむかえおかえり
時間までの母たちの時間の有効活用だべり隊だったと
思うのだが
そのご1500台も半ばとなるとがらりと空くのであった
あとすみのせきに堂々とビジネス電話を延々している女が
いて
なんだか店内で堂々しててかつなんかの
リモートワークでのレポート評定の査定みたいのを
延々と電話の向こうの人間とやりとりしているが
会話ではなく会話の半分切りなので目立つのである耳でね
まあどうでもいいのでききながしつつオレはオーガ(ニ)ズムを
延々読んでいたのであった
あと「ディスタンクシオン(解説)」と「孤独論(田中慎弥)」も
延々読んでいた
田中の孤独論はさすがに丁寧で親切である
自分の例はあくまでそのようなものであったが要素として
そのこと(奴隷にならないということと自分の頭で考えること)は
汎用性があるのだということとその補強の例示が納得させられるもので
しかし自分の頭で考えろという話はそもそもがオレは橋本治におそわった
ものだったなあと思いだしたし今考えれば橋本治はその後「宗教」とは
「自分の頭で考えなくていいシステムだ」と言うに至ったのだったと
オレは解釈している(’ちがうかもしれない)
それはかなり人類的には大きなことなんじゃないかと思うので
世俗ってのは宗教じゃないということなんだろうけど
というところから話をはじめておりそれは岸(著者)の趣味というか
話しのすすめかたがそこからはじまるのがよかろうという話である
ブルデューはなんちゅうか学者としてフランスの中で異端(いなかもん)で
エリートから嫌われかつ庶民からも疎まれるというどくとくの立ち位置を
もっていた人だって話し
しかしかれはグループをつくって共同で社会の調査をしつこくやったこと
が大変に重要だったのであって理論化は大事だがそのまえに
こういう「人からうとまれたりする作業」をしつこくやったことが
大変に大きなことだと思うの
なぜそう思うかといえばオレもアンケートの調査で
なんでこんなつまらんしつこいこまかい積み重ねをやらねば
ならんのじゃ・・・と思いながらやってたからです岩手で
それは成りゆきではじめただけのことだったけどねえ
まあ
意義ってやつだよ
そういうのをおもいつつ読書していた
そのご家にかえってくってジムフロいって(いっかい会員証ともどもぜんぶ
家にわすれたことで家にかえってまた行ったが)かえって
寝た
ジムはすっかり4月からの新体制(フロ時間がよるの短くなるとか・・)
についての会話が多い
そうだろうね
まあオレはたんたんと通うだけのことである足がのばせるフロは
あそこにしかないのだ市内
まあ隣の市までいけばね・・
朝フロが500円
ソイラテが455円
朝マックが450円
このくらいが限度でそれ以上は出せん
わ