書籍『キミトピア』

短編集

 

さいごの1つをのこして他を読む

たいして意味はなく図書館の返却日だったから

そのうちさいごの1本も読むよ

 

さて短編

気になったのは

「やさしナリン」

「真夜中のブラブラ蜂」

が筆頭(2本だけど)

 

舞王の書くものの気になること(いいなと思うこと)は

スピード感

この短編集では(他でもそうだけど)

会話中心かと思いきや

主人公はやること(あるいはやりたいこと)の行動のそれは

とにかくスピードが速く

展開はあっという間にすすむ

「ンポ先輩」では

会話しながら一人で語って考えを進める場面まである(表現は矛盾しているがほんとうにそういう場面)

とにかく

何かは起こる(何かは変化する)し

それによって事態は変化し(そして進行し位置を変えて状況を変化させて)

これ以上は転がれないというところまでは進む

そして終わる

それが短編

 

長編になると舞王はそれをころがしてころがして

とんでもなく遠くまでいく

スピードとスタミナの両立

競走馬だったら凱旋門賞

 

とにかくなんだろう

ミステリ界出身だからかどうかはわからんけど

とにかく何かが起きる

その何かはいつも

ビビッドで

超自然的であることもあれば

なんでもない普通の人間の営みの中で起こることでもある

 

「やさいナリン」は超自然ではなくてごく普通の人間の行状にみえてすこしだけ普通からはみ出し気味である

「ブラブラ蜂」は

普通かどうかを主人公は問われるのだがそんなことは主人公にとっては何の問題でもない

 

ンポ先輩

における主人公もそうだったが

ブラブラ蜂

における主人公もまた自分というものを持っているし持っているがゆえに他人とぶつかる(友人や夫や息子や)のであるが

 

ここでぶつかるというのはおかしいと思う

なぜならば相互のぶつかりではなく

主人公はどちらの話でも「自分の行う意志でことを決めて行っている」だけでそれがたまたま友人の考えとか夫の考えと合致しなかったり利益相反していたりするだけである

どっちも

友人や夫の考えることだってそれぞれの本人の利益になることを考えているだけなのである

互いをおもいやって

みたいなクソ文言がここに登場するような余地は無いのである

 

ここでンポ先輩における主人公の最終的なところを忘れてしまった早いなあ読んだばっかりなのに

 

覚えているのはやはりもっとも最後の読んだブラブラ蜂だけだ

 

オレが思うにブラブラ蜂の主人公の言うことは100%正論で

それをしたいと思うこと

それはそうだろうねそれが一番面白いもの

と思うのだが

どうも夫や息子はそのことがまるで理解できないようで

「そんなことをしたいだなんて 価値がない」とかいうのであるが

価値とか関係あるか??したいと思うことが_?

 

なのに途中で夫がセックスしようコドモつくろうとかいうから

てめえコノヤロ!!

 

と読者も怒るはずなんだがどうかなあ読者わかるかなあ

オレは自分を特権的な(「わかる人」)地位においておいてこの

文章を書いている

ただブラブラしたい(目的地を決めたくないし時間も決めたくないし必ず家にいつ帰ってくるとか決めるなんて愚の骨頂)

って本能に基づいた欲求でしょくらいにオレは思っている

それがこのタイトルじゃんね

 

さいごのイタリアにいることなんてまるでもう

村上春樹「遠い太鼓」における蜂のジョルジョと蜂のカルロ

からきてんじゃねえの?

と思ってしまうくらいである

憧れる

収入を得られる職があってそれで金はOKになって世界のどこでもぶらぶらしたいところをぶらぶらする

というのは本当に心底オレがこどものころからそうしたいと

思っていたくらしなんだよ

 

心底

 

だからこの書籍はまったくもって

 

悔しいような気分もある

 

小説の人物を実在の人物のようにうらやましがる癖

 

いや舞王の小説はすごいよやっぱり強いもん強度があって濃くて辟易するもん

人間関係がこじれている様子(高校生女に3人の男がふりまわされ腹を刺される話とかさあ)なんて最高だよねニンジャ

「すっとこどっこいしょ」

 

最高

 

舞王の書くセックスをエンジョイしてそうな女子高生最高

 

だと思うんだけどなあ

だってたぶんそれなんでそれしてるのってキモチいいからだけの

ことだよねって思うんだけど

読んだ感想としてそう思うんだよん