読書『デクリネゾン』

なんと

主人公が自分を一人称でよびかけて暫定的解決落着エンドだった

 

そういう話ではないと思っていたのだが

そうなるのか

 

複雑な気分である

 

同著者

金原ひとみの作品でこれまでに読んだやつで

やはり強く印象にのこっているのは

ストロングゼロであり

整形繰り返しであり

その二つは強烈なのでとても

残りつづけていて

特にストロングゼロのあの酩酊から反復から円環する終わらなさの

つづきの続きは怖いというよりも運動の

ムーブメントの感覚のスピードが強くて

 

速いなあと思うのは舞城王太郎だがこっちは曲がり角を曲がる

遠心力がものすごい強いやつだが

 

金原のははじめから一定の強い波がいつまでも弱くならず

荒れ続ける感じである

 

その意味では『デクリネゾン』もはじめから荒れていて

そのまま荒れているのだがパートナーとなった若い男

(若い男)

若い男ってなんだ

若い男です

しかし「若さだけが取り柄の男」ではなかったので

若いは正負の価値判断をふくまない

若い古いだけの違い

 

主人公は2人の元夫とさらにつきあっていた男

などの記憶や

再会をそこかしこにちらちらとエピソードがつらなりながら

娘は同居してたが1人目の元夫のところで暮らすようになり

しかしそれでも

 

あらすじ風に言うとそこにコロナ禍がはいってきて

苦しみ不条理感があるわけだが

 

ともあれ主人公は生きていてさらに物語の暫定的おわりは

人生のおわりではない

ので

 

そういう話だった

 

これは映画化できるかなあ

できなそうな気がするなあ

なぜならカタルシスがないからです

 

若い男は最初から変わらないし

主人公による主観の解説ではちょっと変わるようにみえるけど

そんなに変わっていないかんじ

 

カタルシスがないけど面白いという映画のほうが

むつかしいように思える

しかしこの若い男にはまる男性俳優はたくさんいそうに

おもえる

 

主人公が誰なのかが問題でこの女性作家は

 

だれでしょうね

 

男性作家の吉村さんはだれでしょうね

キャスティングを想像してたのしむ

 

主人公はあの人がいいなあと思うのだが

あの人

ヴィオラ奏者と結婚した人

中谷美紀

ううむ

そうかなあ

中学生の女子の娘をもつ母かなあ

 

まあいいです

 

主人公の生きてる感は強いのだが

主人公はそれでもやはり都会の繭(コクーン)の中でだけ生きている人

のようにも思える

繭の中が好きみたいな

消費たくさんしていたいような

 

それがわるいわけじゃないが

食って酒のんで食って酒のんでるから

 

そういう雑誌に連載してたのかしらん

しらん

 

調べない