そういうものの摂取が

つまり文化の話だけど

そういう

マンガとかだってこっちが考えていけば

ただ読むよりはるかに豊穣なものを

受け取ることができるのである

だから

こそ

こっちもたくさん考えていきたいと思っているわけで

 

高木さん(アニメ)が3-11まできた

あと1つでシーズン3までおわりだよ

まにあわなかったらまた2000円はらってNETFLIX延長するさ

 

いまは少女マンガが

扱う題材がどうして多岐にわたっていったのか

(それともはじめから多岐だったのか)とかをちょっとだけ

考えているのだが

現代のマンガの全体像から何を題材にしているのか

マネーなのか恋愛なのか残酷さなのか

そんな統計をとるのはまずムリだよね金と

あとジャンル分けが重なってる部分ありすぎ

 

何を題材にするか

お話は「困難」なのか「ラッキー」なのか

たとえば

高木さん(からかい上手の)は

西片から見れば「うまくいかない」ことと

読者(視聴者)からみれば「うまくいっている(実質)」ことが

そこに齟齬があるから面白いともいえる

 

人間の幸せと人間の不幸と

困難と

悲劇と

かなしみと

意外さと

なんだろうね何を選んでいるの>?主に?

 

こないだ「女の一生」(モーパッサンによる)を図書館で

立ち読みしてきたが

まずさきにあるのが「かなしい出来事」「つらいこと」

「呆然唖然とすること」なのだろうか

 

もっと大昔は「勝った(戦争に)」とか

「愛が実る(神話的に)」とか

 

だからさあ

 

オレが結局気になっているのは

「うまくいきそうもない条件をたくさん配置しておいて

最終的にうまくいくとは

なんとまあ大きな変化なんだ」みたいな女性マンガの題材の主題が愛と恋愛と

ラブと心のかよいあう相互理解だったりなんかしたら

なんかこうそれでいいのかとか

思うわけよそれが中心にあるのは

ビジネス上の要請から?それとも作家的にそれが中心にあってしかるべきだから?

創作って実際問題としては中心に据えるものの決定の意思は脳にあると

いえる?

話しがおかしくなってきたのでいったんおわり