夕食後に(直接体験と再生芸術 娯楽 趣味 コミュニケーション)

いつも夕食が究極うまい

今日はしいたけダシとマッシュルームダシを

くらべてみたがどっちもうまい

 

最近考えていること箇条書き

・もちろん流麗なアニメもかわいいアニメも簡素なアニメも

簡素なマンガも流麗なマンガも豪華絢爛なマンガも

シンプルな絵画もゴージャスな絵画もわからない絵画も

どれもそれぞれにそれぞれの意味があって作者がそうしていると思うのね

 

でもたとえば滋賀県立の名品展で

ジャクソン・ポロックをみて

これの

意味

とは>?

と思ったときにそこには何も正解も

正解に至らないまでの思索も

ヒントも

すがるカケラもないわけです

まったくなにもとりつくしまがない

しかしそのように「しまがない」ようになるように描いた

という意図があるとすればどうだろうか

どうだろうかってどうなるの

 

・絵画はハイコンテキストというかハイブロウというか

絵画芸術は最古の芸術(土で造形とどっちが先だろう>?)ともいわれ

欧州にのこる貴族を描いた肖像など

そうだなあ

がその人のその人であるような姿を描くなんて

勿論日本でも偉人は描かれているのだが

実物とは似ても似つかなかったと評判で

鏡というものが庶民も見るようになったのはいつのことやら

 

水に顔をうつしてどのくらいみえるか

 

・映画と本は庶民も楽しむことのできる芸術で

芸術であると同時に娯楽だけど

音楽も芸術であり娯楽である

買ったり借りたり無料で広告付きでみたりするもんだろう

芸術を鑑賞するというのは

美術館またはコンサートホールまたは

演劇場つまり演芸場

みるわけだが

洋の東西をとわず

「小屋」がつくられてそこで「演劇」が行われていたことは

それはそのはじまりで

その前は路上でやっていたのも東西みな同じである

何かをばかばかしくはなはだしく派手に

大きい音を工夫してやっていたわけで

それがバカに見えるとか気がくるっているように見えるとか

この世のものとはおもえないほどうつくしいとか

だったんだろう

 

・美術とかアートの「面白さ」(工夫や興味深いと思える箇所)を

感じるようになるまでに練習も下調べも必要だとは思うが

思うけど

「感じる」のはあくまで客(観客)のほうで

純粋芸術とかあったとしても

美術館にも収録されず誰もそれを見ないのは

芸術といえるのか

 

・海外旅行にいったときは現地の美術館をみてみる

(たとえばロンドンで ブエノスアイレスで)

現地ツアーに参加する

(たとえばペルーで)

のは別に日本でそれやってもいいわけである

 

そもそも日本の旅をする中でなにか普通の観光じゃないことが

してみたかったのはあるがなにか基軸が必要だ

それはたとえば登山であったり(最高の光景!)(稜線!)

美しい風景であったり

美術館建築だったりするわけで

3つくらい軸があれば退屈することもいききってもういかないところがないこともないだろう

風景は登山しなくてもみれるが

登山は風景と自分の苦労とコミである

なんにせよ体験はその現地にいかないと意味がないし意義もない

風景などとくに

目でみるものはスマホやTV画面とはまるで違う

 

・体験と言う意味では美術館で「作品」そのものを見ることは触れなくてもいいんだよ重要で

しかし音楽はこれが問題で再生音楽は体験ではないといえるだろうか?

もちろん「体験ではない」のである

本当はライブを聴くこと以外は「体験」ではありえない

でも

それではとても「体験」できる人数が少なすぎるのである

何にとって少なすぎるかといえばペイするかどうか

あるいは大衆の欲望

どっちもである

音楽が一番再生しやすかったんだよ

だからレコードができて

レコードはご家庭で再生できることになった

 

れこーど

だってさ

みしん

同じじゃんね

レコートは音声を録音してある再生記録レコードであり

ミシンはソーイングマシン縫う機械である

 

機械がそれを可能にしたのだ

それから電気と計算機がね

不思議なことにね

 

我々が電子的に流通させられるのは

文字コード

プログラムされた振動

そのくらいである

それを耳・目・肌(三半規管)で味わう

 

まあ想像力は再生された情報からでも十分に面白さを

の脳内に再現再生できるよ

 

そういうことを考えてみたりしている

 

それらの

再生されたものや

あるいは直接目にして手にしているもの

それらを好き嫌いで選別したり

選んだ結果として手元にのこしたり

愛したり

する

わけで

価値あるものだと思うからそうするわけで

もの

ものですよ入手したり廃棄したりするものはものである

人間が他人をという意味では廃棄するわけにもいかず入手も困難である

それぞれ各個の人格に好き嫌いのコードも選好もあるからね

それはものじゃない

それは体験

 

好きになることと互いに好きであるといいあうことは体験であって

それはネットの上で行うこともできなくはない(テレビ電話で

メールで LINEで スカイプで ライン電話で ツイッターのスペースで

FBで metaで Instagramで 情報をやりとりしあって・・・)

 

書き忘れてたが美術館をみるということは名建築をみることでもある

 

あと

 

安い系のくいものは旅先でくいたい

うどん

うどんは関西から西へいけば

どこでもうまい

四国はとくにうまいけど

 

甘いものも

餡子のうまいのとかやっと年とってからうまいと

おもうようになったわ

かぼちゃとかもそうだけど

羊羹

ねっとりほくほくしたものね

サツマイモは育ててるから