ねたおきた

おきたぞ

水曜だ

 

水曜だ

 

水曜だなあ

 

・もちろんこのLIFEのなりゆきがすべてHAPPYだなんて思っていない

・そうなることは期待はしているが

 

・そもそもが「世間知」からすれば

誰もがそうしている?わけではないのに

誰もがそうしているーようにー”普通の”ように

就職してガマンして働いて長くやっていれば得になるのでそうしていれば

よかったのに

・的なもののいいかたで「そうしていないからあんたはいま

こうなって(自尊心の問題)いるのだ」と

存在しない他者の声がきこえる(=自分の中にある”世間”の仮面のような)

のであるが

 

・このように書いてみればそれは”存在しない”とわかる

・あたりまえ

 

・Happyであるか否かは基本は自分がそう決める(操作する)もの

・客観的なHAPPYなどは存在しないのがその根拠である

 

・よみはじめたばかりの『価値とはどのような

なのであるが

・さいしょに面白いなあと思ったのは多様性のベースのことであって

多様性というのは選好という

これは好きこれはそんなに好きではない

という分け方が実際にあるというところから

あの好きも別の人のその好きもそれぞれに存在している

ということが多様性なんだ(オレはそう読んだね)

と言われて

ほほほほーなるほど

と思ったわけだ

多様性といえばさいしょにLBGTQ+のことを思うのだが

それはつまり「本人の性自認」とか

「好きになる他人の性」「そもそも他人を好きにならない」「性的で

ありたくないし他人もオレを性的に見るな」などなど

さまざまな性的性別的なものについての

こうであることを好ましいと思う様子が人によって

ぜんぜんちがう

というところがそうなんだろう

それが多様性とそれらどれも否認されないというこっちゃ

でしょー

ということで

自民党のやつとか基本的人権がなくなればいいと思ってるのは

そういうの「人それぞれ」じゃなくて「国家を保つために生殖は

政府が決めた通りにやれ」と言いたいんでしょ

アホだね

あんた自身が他人のいうことききたくないのにあんたの言うことなんて誰もきいてくれないよ

 

それがオレのねたおきたであって沢山寝たらあたまが少し改善した

読書によってホンモノの知性にふれることには効用がある

たしかに