客観的なHAPPYなど存在しない

というテーゼを考えた(おもいついた)

 

「他人の人生が幸せなのか不幸なのかは絶対に分からない」

ということである

不可知

 

客観(Objective)

というのは私見を排してこの世界の中で常にそれは真である

ような貫徹性をもつ事象

のことではないのかね?

 

「主体を離れて」って辞典には書いてあるね

 

まあそんなのは人間からでてくるわけないという意味で

実在しない思念だという人もいそうだ

 

つまり他人や世間がオレのHAPPYを決めるなんてどうかしている

 

ということさ

 

しかしこの話はそもそもが

がっこう

ある意味憂鬱な部分がある

ということからはじまっている

 

オレは宮古市での経験からなにかをオレが感じたときには

とことん日記にかきまくることにしている

ネガティブなことならさらになおましてしつこく

 

ということが自分を掘るということなんじゃないのかそうなんじゃないのか

どうかね