本日(美術館ハシゴと名古屋三省堂)

梯子したのは行きの新幹線でおもいつきです

 

本日をまとめる

朝から

・図書館に『もう行かなくては』かえす

中国の「いわゆる世間でのし上がるためには」みたいなゲスいことが書いてある本かりようかと思って重いのでやめた

・ぴあ

でカネコアヤノ大阪城音楽堂9月10日のチケを一般発売でゲットする

すごくうれしい”!

これでいきていける(正直日比谷野音は即死だったようですが日曜の夜に東京いってるのはつらいもんがあるです・・・大阪は土曜だから)

 

・電車で京都へ

 

・折り返しJRで瀬田へ

瀬田駅は時間によっては駅員がいない!そしておりかえし切符は新幹線から在来線の乗り換え改札にちゃんと通してあるのに改札不通過とかいうから機械で遠隔の人を呼び出すハメになった!JR西日本はどんどんサービス改悪しているがこれは日本全体の問題・・・

 

・バスにのって滋賀県立美術館へ

 

・バスをおりたら雨がふってきて中に入ったら豪雨でした

 

滋賀県立美術館

特別展「塔本シスコ」

全国を巡回してさいごに滋賀にきたそうです

滋賀はもともとシスコさんの絵をもってたそうで

 

まあ絵柄からしアール・ブリュット的ではあるのだが

定義がわからん

でも油で色彩がこれ以上なく鮮やかで

もう明るくなるしかない

そんな絵たちです

あと所蔵作品展は前回いったときと同じなんだけどあらためてじっくりみました

絵巻の日本画は大正時代のもの

やっぱりファンタジーなんだよ

形式のある

そう

今回はテキサス州はマルファに個人美術館もある

ドナルド・ジャッドとか

じっくりみてた

そのマルファの美術館

オレ

むかしむかしにBRUTUSかなにかの特集で

テキサスで

それ

見たことあるような気がするんだよ

マルファって土地の名に覚えがあってさあ

 

kousch.info

 

 

とかね

 

それにしても

改めてみる坂上チユキの絵は

ブルーインクで

ちいさい紙をうめつくす

その反復の細かさである

これがまさにアール・ブリュット

特徴ともいえる

執拗な反復の細かさである

なんでだろうねえ

みんなそうなんだよ

さてちょっと走って帰りのバスにもまにあって

JRのって近江八幡

あるいて次の美術館へ

 

 

https://www.no-ma.jp/repetitionandpeace

展のタイトルが

「反復と平和――日々、わたしを繰り返す」

というもの

 

こっちは現代美術家アール・ブリュットの作家とごちゃまぜにしてとにかく「反復」をキーワードにしているもの

 

横山奈美さんのツイッターでみつけた

 

美術館そのものが近江八幡の歴史地区の中にありつまり江戸からの古い住宅などをそのまま生かしたところである

蔵もある

 

蔵の中で上映していたのは清水ちはるさんの作品制作のようすと両親たちのようす

である

もともとは「小さい箱にまるめた紙を入れる」ではなくて他のことをしていたらしい

いろいろしているんだと思う

そのときどきでモードがあっていまはこれというのがあるんだと思う

あるときからそうなった

ハコと紙まるめ

 

 

そう

だから家の中はどんどん「作品」に侵食されていくのだる

留められないというか止まらないというか

はじまったら続けるしかない

保続である

 

他にも文字を形としてあじわうような作品など

 

でもそこでオレはいつも考えてしまうのだが

作品があって

それをつくるアーチストがあり

アーチストのどうこう属性によって作品の

よしあし(価値)は左右されるのか?

というのが

まあ疑問で

 

まあこうなんというか

美しいか美しくないのかわかんなくなってしまった現代美術はいくらでもあるわけです(素人の目からみれば)

価値ってなんだろうとかんがえざるをえないわけです

 

目的のわからない機械をアートとして制作して出品する小林椋の

機械は

たしかにじっとみているとおもしろいが

これがアートか?といわれて

これに価値があるのか>?どのような?どのくらい?

と考えるとまるでわからなくなる

 

それこそ横山奈美さんの作品もあったが

それは

「少女がくさむらに寝転んでいる絵を次の日は模写してまた次の日は模写したものを模写する」という連作

なわけで

まあ反復ですよね

でも

ものすごいかすかな違いしかなくて

違うことが重要なのか

同じことが重要なのか

それこそ美大で絵をやった人であれば

やろうとおもえば寸分たがわぬように模写できる

はずではないかとか

しかしそこからほころびは必ず生まれるのか

とか

コンセプチュアルといえばいいけれど

それを

同じことをアール・ブリュットの人がやったとしたら(やらないだろうけど)

どういう価値づけをされるのだろう

とか

考えてしまうのである

 

それで価値の本を読んでるんだけどさ

’(電車でちょっと進んだ)

 

わからんのは橋本治の小説もそうで

今日かりてきたんだけど

まあこれが

小説なのか社会批評なのか

橋本が書くような現代の若い人の形態が

そのまま形態描写として書いてあるんだが

そういう書き方をされると

ぜんぜん不倫セックスしてそれから飽きた

みたいなことが

本当にあったこととして小説の中に

あっても本当とはおもえないというか

それこそ

なんだろうなあ

こういう小説がこういうので小説として

小説ですというのはいいのだろうかとか

いまさら考えてしまうようなもので

これはうまいへたで言っていいのか

へたなんじゃないかと言っていいのか

いいのかなあ

 

などを考えてしまう

 

さてあとは雨の中をぬれぬれになりつつ近江八幡の駅へもどり

しかしモンベルのズボンはすぐかわく(すごい)

米原から新幹線で名古屋

 

つかれているが本さがしは楽しい

5冊かった

消防のいい本もかったし(なんでおなじ4類の参考書なのに書いてある範囲がこんなにちがうんだ!!!!)

あとは

『やりなおし世界文学』津村記久子

『断片的なものの社会学』岸

行政学講義』ちくま新書2018

『ブランチライン』4巻

とだいたい予定通りである

アナキズム入門』は在庫なし

Feel Young』は棚になくてさらにそこにあった「女性コミック誌発売日一覧」にも名前がないんだよ!無視されたる!

まあしょうがない

 

レジの店員さんが黒髪うしろひとつしばりで20代とみうけられるのに女子高生テイストでかわいい人だった

 

タカシマヤは女性客が圧倒的に多い

 

いい場所だ

 

新幹線でかえる

 

駅からあるいてアパートまでは大雨でだいたい全部濡れたが

前にかかえたリュックにいれてた本たちは無事だった

目的は達成された

よきかな

 

でも美術は

なんどでも見ていいと思うんだよ

それこそ絵の具を流すやつの以前のポロックの版画は

どこか無茶クチャだけどリリカルでもあるし

仏性はあらゆるところに宿るとおっしゃる小倉遊亀先生のかかれる仏様はなんかかわいいし

静物画も三点で一そろいなんだってさ

うーんベーコンも3つセットにしてたよなあ教皇とか

マジックナンバー

 

まあいろいろ思いましたよ

わるくない

たくさん歩いたし

 

帰宅してやっとカップやきそばくって 人間に戻った

(昼は瀬田駅前でおにぎり2個食っただけだったが

活動できるもんだね)