習慣づける

たとえば美術館にいくのも定期的にあちこちいっていれば

習慣になる(あたりまえになる)

特別なことではなくなる

 

たとえばマラソン的なものとか

ジムで筋トレすることとか

風呂に入ることとか

いつもしていればそれは習慣になるしあたりまえになるし

歯磨きだってせめて寝る前にはと思えばそれは習慣となって

なんとか齲歯とか歯槽膿漏の蔓延をまだ防ぐことができる

 

他人から不当に命令されないこととか

自分の頭で考えることとか

そうだ

 

習慣化というか馴致というか

その逆というか

 

自分の頭で考えるのがあたりまえになり

他人の考えをおしつけられることは不当である

と判断するようになる

 

おかしな書きかただが

 

たとえば例示するならばハンセン病

当時はらい病(レプラ)

仏罰とかいわれて罪業の結果だとか

むりやり因果をむすびつけられていたわけだ

(そういう展示もあった)

過去のやつらは愚かだったからそうだった

ということも言えるか?

そうでもない

現代のわれわれだってオロカなのである

ともあれ

わからんなりに「論理」がないと人間の脳は安心しないので

そうやって無理に因果をこじつけたわけである

 

そのうちやっとそれは感染症であり

原因がそれだ

とわかるようになるのだが

 

その前というか

それがわかってからも

強制隔離とか

拘禁とかするのである

患者をね

 

それは考えとして「これが正しい」という

正しさをとりあえず建設する(正しいかどうかの真偽の審議をしていない)

そしてそれに寄りかかる

というやつらがいて

そのやつらは患者を拘禁したり断種したりしたわけだ

 

たとえば欧州で過去に知識ある女性を魔女にしたてあげて

火刑にしたように

 

エタ非人という層をつくってそこに皮なめしとか排泄物処理とか

死体処理とかのきらわれ仕事をおしつけたように

 

それらは別に正しいからそうなった

ということは全然なくて

そうしようと思いついたやつ(無根拠で)がいただけのことで

そこに後から謎の理屈をくっつけただけのことだ

 

いま自民党統一教会選挙協力

なにがわるいとひらきなおっているが

反社会的な強制やカツアゲを行う団体の協力を得てなお

堂々としていていいのだと思っているなら

おまえらのほうがのうみそがおかしいのである

 

正しいかどうかの基準はたしかにその時代で変わるのだが

 

いまある法さえも尊重しないやつはもうどうしようもない

 

 

とまれ

 

 

オレにはものを考える習慣が

昔からあったと思っているし

いまもなるべくものを考えていったほうがいいと思っているので

複数の流れに属することを同時進行で考えている

 

絵画(20世紀はじめにみられたアヴァンギャルドが日本に来たころ)

倫理~価値というものの扱い

風景~描写(記述)

差別と支配

アナキズムと計らない相互扶助

とか考えるのである

考えるしかない

そういう習慣