土曜日9

ああ

夕食うまかったなあ

炊き立ての米

昨日からあるおかず)(とうふやさいツナ!)

 

さて老人について書くならば老人について知らないとけない

いけない

といけない

さいわいそれまでの仕事の経験はあるけどね

みな

老いてしかも病んで

人たちだったわ

パーキンソンは表情が乏しくなり

整形疾患は性格がわるくなる(ウソです)

リウマチにはリウマチ気質といわれる性格が登場し(これは

経験値的にほんと)

膝関節症は手術後のうごきが決め手(’こわごわ・・)

いろいろありましたね

 

親について言えば(オレは積極的に母親に関心がなく憎しみ的なものはある)

いけすかないといえば両方ともいけすかないが

父親研究であればやってもいいと思う程度である

(役割分担)母親は姉に任せる

 

過去のいい話を子に語るというのはあれは

日記を書く習慣がないからかわりに他人へと

語っているのか?たぶん違うね

 

日記であればそれなりに恥のことも開き直って書くことが

できる

くるしい

いま苦しいんだ

とかね

 

ううむこれもまたあやふや

日記はそれは自分を映す鏡ではなく

鏡になってほしいと思うからそれをなるべく目指しているものであって

それは目指すものとそのものでは違うものであるだろう

 

他人に対して語ることができるというか

 

もう出典がどこだったか忘れかかっているのだが

「ある世代までの日本人男性は家族構成員を自分の自我との間で区別

がつけられなくなっており家族の個々の意思というものがあるという

ことを理解できない」という話があってだな

分身どころか

 

こういうのも「イエ」信仰の一部わかりやすい側面

だと思うんだけどね

 

ああ出典どこだったかすごく残念だ忘れてしまったことが残念

Togetter

だったかなあ・・・どうだったかなあ

 

ともかく個々なんですよ

イエ制度は死んだんだ

いつまでも死んだものにかかわずらってるんじゃねえよじじい

 

とかね