雨になるのは明日ですよ
今日は晴れる
はず
火曜日です
明日は祝日水曜日!お休みです
うれしいな
そうおもえば今日はそこそこになるでしょう
米を炊いてくう幸福
いやさ
昨日は認知症とホームレスとについてちょっと考えていたのだが
認知症は「年齢を加齢していくと(ほぼ)必ずなる」と思ったほうがよさそうで
つまり「ならないほうが例外」であるということ
しかしそこには個人の努力は何も関係がない
なる人はなるならない人はならない
個人の資質や努力は関係ない
したがって「対策をしていた^だからならなかった」の因果関係は
成立しない
いうなれば認知症は神の恩寵みたいなもんで
説明しえないものを無理にでも納得するための文言だ
そう思うね
正しいかどうかは別としてそう思うね
正しいかどうかは科学的に考えるべきと思っているが
人間には
数の多い現象について「正しいかどうかを測定」できることとできないことが
ある
統計学はできるだけ正しく測定したい気持ちからうまれたと思っているが
それでも把握しえない(要素 因子のつながりが正しいかどうか)
ことがある
女性だから認知症になりやすいのはおかしいじゃん
女性が長生きしがち^長生きしてる人は認知症になりがち
の2段階は最低でもある
糖尿病にいたってはそれがあるから認知症というのは
あきらかにこれは
どうなの?
と疑義をはさみたくなる
脳に変化があらわれるって?・ウソだーマジでー
とか思っちゃう
さてホームレスだが
ホームレスになる理由としてなんだろう
オレが増田をよみながらその要素 因子について思ったのは
・貯金がわずかしかない か ほとんどない ので
首になったときのバッファ(安全弁)がない
・賃貸のすまいはお金払わないと退去だ
・家族親類縁者が助けてくれるかくれないかは大きい(実家とか)
・友人が泊めてくれるか(居候できるかできないか)
おもえば野村訓市氏はよい友人にめぐまれていた
・シェルター
・市町村はぜんぜん助けにならない
・カイジの世界(地下)
とか思いましたね
増田の結論はメシはうまいし助けになるというメシのありがたさが結論なのだが
オレだってそう思うよメシくっていきてるし
毎日くわないとしんでしまう
食う
そのためにいきているかといったらそうではないが
そうであると思ってしまうくらいの力がある メシには
オレは楽しむこと(快・あるいは適)のために生きているがそれは正の刺激のために
生きているといってもいい
それは生存そのものが快である場合もあるのである
それこそ「自己への配慮」みたいな話でもあるね