あだ3

小学生が原理的に明るいのは

未来への不安

を形つくる材料に欠ける

からではないでしょうか

 

われわれ(50代)は

不安の材料だらけでございまして

しかもそれを「オレがある程度納得できる形での」

ソリューションも持っていないのです

つまり

荒波打ち付けるに任せるしかない(しぶきを浴びて)

 

とはいえ

それはオレだけではなく人間なるものが「時間」を

意識するような阿呆であることのかぎりは皆おなじで

 

不安は

忘れる

気にしない

他にもっと喫緊の危機がある(たとえば借金 戦争による命負傷の不安)

場合にはそんなんどうでもよくなるわけですよね

 

借金におわれていると認知症にもならんというし

 

ひきこもりの子供2名でそれがもう60代とか

の子供をかかえている90代のじじいは

認知症とは無縁そうだったなあ(そういうTVドキュメンタリー

を見た)

 

それが幸福かどうかってそんなんもう

他人の一般基準なんて適用できるわけないじゃないですか

絶対値ですよ

 

いきるかしぬかで

しんだらそれまでよ

 

という世界は夜にかりそめの眠りを得るだけでもありがたくかんじる

であろう

生存の不安というのはそんくらい

大きく強いんじゃないの

酒ものみたくなるわけだ

まあ酒のむとさらに寿命は縮まるのだけれどね

長期的にはね

 

短期的に結果がでないのはこわいよね

 

あとで