つまり

つまりというかつまりじゃないんだけど

 

この記事の一個前の記事と2個まえの記事はつながっていて

(よる2 

sanukimichiru.hatenablog.com

(理解/理解できない 

sanukimichiru.hatenablog.com

 

 

小さい組織でも軋轢はある

 

国家のレベルでももちろん軋轢はある

これは「政治」の問題でもあるし

理解という人間にそなわっているスキルの問題でもある

 

政治という意味では小さい会社も大きい国家も同じで

かぎられているリソースや仕事のための労力は

配分しないといけないし誰がそれを誰がこれを

やるんだということを命令しないといけない

(民主的とかいいますが結果的に組織でタスクを行う中では

命令がなくては人間はうごかない)

 

それがいきすぎた状態がタスクではなくてなんか

なんでもいいから命令を守れというエクストリームが

いじめ殺人というやつで

(現実にある

この2021年も

ある)

 

国家のレベルであっても徴税という仕事と

お金よさんの配分と

行政の行う半ば以上暴力によっておこなわれる公的な事業とか

警察権力とか

司法の判断とか

法がまちがっているのでそれを守るしかない行政官によって

おこなわれている入管での監禁と殺人とか

法がないので内規という名の恣意的運用が放置されていたり

 

大小の差はあれ同じだということがあり

 

 

結局命令の暴走は理解できないことの帰結であり

理解できるばあいには話し合いが成立するのだが

民主制が機能するのはそこからはじめてはじまるのであり

それ以前はただのカオスである 

 

だから民主制が機能していたのはだいたい人間が

そこで選別され教育されていた古代ギリシアのポリスの中

の「市民」だ

というケースだけで

 現代の

大衆で民主制が正しく成立する保証がどこにもないのである

 

それが「理解できない」人のことばや意志は他人から理解できない

というところでの作法で

命令や暴力によってしか

つうじない

つうじないというか暴力は壊すだけなので

結果として通じていないのと同じ

 

よくもなあ他人というものが

この社会にたくさんいて

他人と互するなんて

そんな気持ち悪いことをよくもできたもんで

(わからないのは気持ちわるいですし

 しらない男から急に告白された女子はだいたい

 「気持ち悪い・・・」といいますね)

(旧劇のアスカとかもそうだったのかしら)