さっき書いたことの関連だが
「悪である(犯罪)ことは
その数が多かろうと少なかろうと
定義として悪であるならば悪である」
というときに
そうではないもの(数が少ないときと数が多いときで
フィルターが変わり悪と善が転換する事象)もあるということが
あると思うわけね
さっきの例は
・喫煙とそれ以外の人
・石炭エネルギーの利用とその反対派
だったわけですが
ここに反対派というワードを置いてみたが
「反対」というのは意見がわかれるときに言うことばで
もし「犯罪」であればそれは絶対犯罪であって意見もクソもない
のである
真偽の判断をするまでもなく犯罪は犯罪であるということ
悪になるとまたこれ別に大きいほうのカテゴリになっていき
判断がわかれるとかいいやがることが増加する
そこで
結婚制度解体を主張する人は近代に毒されているのでは - メロンダウト
を参考にするのだが
あくまでそれは議論の話ではなく
単にインセルとアルファ雄が出てきていたのでそれで思いついただけなんだが
いまのところインセルのこじらせ犯罪は
悪
でお前がわるいということでいいと思うのだが(なぜなら女を平等にあてがえという主張はべつに正当な根拠をもつわけではないから)
もし社会全体が「一夫多妻でアルファ雄が独占する世界」になって
そうすると数としてインセルのほうが数は多くなるのである
そうなったときにはインセルの主張は
ある程度の「正当な根拠の正当度」が増してくるように思えるのである
ただ数がふえたというだけでね
打ちこわしとかストライキとか行って
アルファ雄を数の力で文字通り圧殺する(群衆がアルファ雄のところに
おしよせて脚で足で踏みつぶすような文字通りの数による殺人)
ことも可能になるわけである
じっさいにアメリカにおいてトランプが扇動して議事堂に群衆がおしかけるというのを観たり
ウクライナの領土にロシア軍がおしかける(そして蹂躙する)というのを観たり
していると
数によってそうなってしまうことはあるなあと思い
それはもう「いい/わるい」とかどうでもよくなるのである
現象として
だからオレの希望としては
石炭でもいいじゃんといいたいわけです多分石炭燃やしたところでもう地球はたいしてかわりませんよ
原子力とかよりはるかに石炭のほうがマシだと思うの