よる

寒いね。
 
酒のんで昼間寝ていたおかげでよるに余裕がある。風呂もいったし週アスもしっかり読んだ。
週アス感想。福岡氏が「代打コラムも今回でおわり」と言っている。そして来週は本来の書き手が一回だけ帰ってくるそうだ。ということは神足氏ではないか。・そうなのか。期待している。
わくらばんに新キャラ登場。モテモテハーレム。毎週たのしい。
 
WEBはけっこう偶然の出会いがあると思う。定点巡回ルートを通っていると、自分ではぜったいみないものにも出会う。アプリでは味わえないと思う。たとえばブシロード木谷社長の自伝マンガなんてぜったいみない。
 
Boazさんが、遙洋子先生が怒っているというので読みにいったが、
いろいろ思った。
まあ、「正当な怒り」であるならば、たぶん、それは正されるべきことなのだろう。正されるべきというのは、「誤っている」か、「社会正義からみての悪である」のどちらかだ。
 たとえばマナー。みちばたにゴミやタバコの吸殻をポイ捨てするのは正されるべきである。皆の迷惑。
 たぶんこの系統だろう、新幹線車内でうるせえ迷惑、マンションで足音迷惑、そういったところ。
 「この国はモテない男で充満している」というタイトルだし。つまりそういう迷惑な男というのはモテないに決まっているということだそうだ。他人への気配りがない。そういうやつは結婚できたとしても妻からストレッサーだと思われていて早くいなくなれと思われているのだそうだ。
 それはまあ憂慮すべき事態だと思うけど、そんなに怒っていると語り口がどうにもとげとげしい。
 
 このとげとげしさは、週アスの連載でどうにも好きになれないPCパーツショップのマンガにも通じている。
 どうしてこれが人気があるのだろう。
 と思っている。なにか社会に対しての善いことをしているのだろうか、さあ。
 
 まあ社会はなかなかよくならない。
 
 昨日か今朝か、考えた、老人をうまくころすほうほう手段社会としての対策などについて引き続き考える。
 いま思っているのはたとえばグループホームなどにおいての「なんか急変」がおきたときにどのくらいの状態だと「救急車を呼ばないことが罪になる」のだろうかということだ。
 まああれだ。いわゆる施設においてなんか熱が出たとか咳してるとか、そういったことがあると、すぐ病院にかけこむのである、そしてその状態というのはぜんぜん命にかかわる急病ではないのである。
 まあほっておいたら死ぬけどどうせいつか死ぬのである。
 
 で、どのくらいだと罪になるのであろうか。
 
 なんか死にそうな人をほっておくと、義務の不作為みたいなのが罪になるでしょう、自動車事故の現場でなにもしなかった(電話とか)とかね。
 
 でもさあ、自然治癒力がもうないんだったら、ほっとくと死ぬんだけど、ほっとかなくても死ぬでしょう。
 薬とか酸素とか点滴とか。そういう手段はあくまで代替に過ぎない。
 
 で。「ゆっくり死にむかわせるための住みか」みたいなのがつくれないかなあと考えている。家族とかに「たいしたことない場合には救急車は呼びませんしそれで手遅れで死んだとしてもグループホームの責任は問いません」みたいなかんじで念書とっとくの。
 そうすれば明らかなよくない延命措置がへって医療費も年金支給もへると思うんだけど。
 まあこういう話に賛成する人は滅多にいないだろうなあ。
 
 あらかじめ自分で「なんかあっても死なせてくれ」と思っている人は多い。多いが、そういう人でさえもいざとなるとその決意を翻すのだ、と語る人もいる。
 しかし自分の意思を表明できない人というのは
たいへんな制限であると思うのだ。そういうことにかんたんになりうるのだけっこう。
 
 病院などに勤めていると、そいうのを見て、見てると、ああいつなにが突然おこるかわかんないから今のうちにしたいことをしておこうとつくづく思う。
 そして何がしたいか考えたときにけっこう海外のみたことない国をみてみたい欲がオレの中でわりと強かったことに最近気づく。