本日
がっこうにてなんとか祭り(行事)のためのアトラクション
の作成で一日を費やすが明日もおなじ予定である
ストーブはあったかいけどね
配線して端子を圧着し木を切り面取りして
サンダーをかけて(ほんとのサンダーを扱うのははじめてだわ)
なんじゃかんじゃである
かえり
図書館に本かえしてかりる
小説ばかり3冊かりた
あと返すまえに田中慎弥『孤独論』
よみおわる
口述筆記なのだという
どうりでへんな文体だと思った
作家本人の口ぶりとはおもえない
しかし内容はなにかそのような作家本人が
言いそうなことである
なんとなくね
しかし「AIの奴隷になってしまう」は表現としてあまり正確ではないのではないか
AIは「人間を支配する意思」をもっているとでも?
人間はAIに支配されたいという意思はあるとはおもうけどさ
結局人間がAIとつきあうというのはそれをプログラムした人間とつきあうと
いうことであり
ネットに存在する人間のつくった文をつぎあわせて文をつくったりしているのが
AIというものではないか
AIが人間に対して命令する
ということはいわゆる「悪意または利他の心(意思)」をAIが
持っていることが前提になるのではないか
それによってAIがAI自身で生き延びて繁栄することをよりよくするという
AI自身のための目的にかなうのであればね
そのような意思をAIがもっているならばそうだろう人間を奴隷にしたいと
思うだろう
しかしそれはAIを作った人間の意思じゃないのかねえと思うのであった
まあなんでもいいや
奴隷になるなというのが田中の言っていることであり
奴隷とは自分の意思をつらぬいたり選んだりをしない人間のことであり
それは他人の意思によってそうさせられているだけのこともあり
そうでもないのに自分から他人の意思に従うようにしていることもあり
ありあり
そういうのはやめたほうがいいと田中はいうのであるが
それは田中がそれが人間としての人間らしさであると考えるからであろうと
思うの
人間が人間らしさを発揮するのは大事だが
「人間らしいという特質」でさえも個々の人間によってそれを規定した定義は
異なると思うのね
そのくらい人間はそれぞれが違う人間だと思うの
人間らしさとは「人間はそれぞれが個体として違う」ことにあるのではないか
その他の動物たちはみな動物としてそのそれぞれが種・属などとしての
統一性や共通性をもっており
しかし人間だけがあまりにも行動やその元となる意思がことなりすぎる
のではないかなあ
だから原子力ばんばんしてトイレに垂れ流しでいいと思ってるような人間さえも
うみだされてしまうわけよ
トイレ垂れ流し問題は無視していい(無視したまま運転をつづけてもいい)
とさえ言うわけだよ
阿呆だなあとオレは思うがつまりオレとは考えが違うわけね
同じベースに立っているとはとても思えないもの
さあ夕食つくるぞあたたまるぞガスの熱で