2月17日(金)あさ

しかし新幹線遅延を新幹線車内で待っているときにもそれは

いろいろな感情があり

簡単にいえば「つかれた」があるのであった

 

なにしろ平日なのでがっこう帰りだし

きたねえ作業着(下)をきたままだし

腹は減ってるし))だがさっさと乗らねばで

駅のドトールもスルーしてきたし

あと

やはりお金は新幹線往復でたまらん金額出費だし

そのたまらん金額出費した上に遅れてるのでライブが

半分かよ!わりにあわん!

という怒りもあるね

 

怒り

不当に搾取されてり

されるされてる感覚の怒りですよ

ええ

そう

 

そんな気分もあるので

昨日は決断して家にかえり

かえりみちの鈍行の列車の窓からの夕方の横からさす

夕方の光の赤さはじつに淡く

女子どうしの友情光景とか(顔を子猫2匹のように互いにちかづけあう)

みて

電車ならでは

みて

 

そして家にかえりコーヒーと甘いミニドーナツとか食うと

やっと人間にかえってきた’(へいせいに帰ってきた)(ような

ような安堵を覚えるのであった

 

怒りはひとまず

いいや

という感覚である

それが昨日のことだね

 

今日は予定もクソもないが

もしがっこうにいくなら

かえりにあっちの図書館のやつ

かえしにいこう(『土と内臓』は面白いので

もうすこしよみたいがこれは買ってもよい)

(『飯場へ』は面白いのだが参与観察の本は買うよりは

図書館だなあ・・岸が『ディスタンクシオン』解説で自分も

参与観察からはじめたって書いてたときにそれは”下”の世界の

観察だっていう感じがしたわけだがそれはオレの感想である

飯場も”下”だよね

なんで下だってオレが思うのだろう

上も下もねえってわかってはいるよ

でもさあ

どうも社会学のやつは下を「観察」するじゃんねえ

それが相手からすればうるせえよこっちを見下してるんじゃねえよ

って

普通思うじゃんねえ

傲慢なやつめ

って

敵視するじゃんねえ

それが当たり前だと思うわけよ

だから何ってわけじゃないんだけどさあ

障害者”研究”もそうだし

だからといって「これは観察ではなくただいっしょにいるだけです」も

嘘くせえんだよね

ならばスタッフとして関わりあればいいのか?というと

今度は公的制度の中の人としてのサービス限定性とか

サービス事業としての利益確保とか

どうにもうるせえ世の中だ・・・)

だが本の感想はそれは読み終わってから言うべきで

ここにいまかいたのはオレの偏見ね

根拠なき偏見

(アマゾンレビューと出版社からの本の紹介が

 いやしかしまだなにもわからんぞえ)

 

 

『住まいの解剖図巻』は何度も読むだろうからいったんかえします

 

そんなかんじのものをあっちの図書館でかりていたのさ

 

絶縁/接地の検査は

原理はわかったが

やはり個々のケースで対応するしか

ないだろて

と思うようになった