なぜ他人の心をわかりたいか

の最初に出てくるのは

「それがわかればセックスできるから」

じゃねえのか単純化すると

 

なにしろこっちがしたくても相手がしたくない場合には

殺し合いになるかもしれん

そうじゃなければいいんだが

憎まれているのか好意をもたれているのかがわからないと

できない

そこで人間は言葉によるコミュニケーションをもちいるようになったが

それ以前から(以前から??)

言葉によらないコミュニケーションもあっただろう(ほおずりとか

キスとか手を握るとかいろいろあっただろう)

 

しかしそれらコミュニケーションがあったとしても

言葉は「ウソをつく」ことが可能だし

言葉によらない場合にはその内容を「解読する」ことが

必要である

間違えたらえらいことだ

 

だから心が読めたらいいのにな=~=~

ってね

 

オレのような古代人がいたらそう思ったに違いないのさ

 

それが最も強い動機なんじゃないの??

あとは食い物わけてくれそうかどうかとか

 

殺し合いしたいかどうかとか

 

他の部族とファーストコンタクトとか

 

ねえ

 

(まさに人類学の本よむとすぐ影響される)

 

でも人類学は面白いと思うんだーすぐアナキズムに直結するじゃん

場合によっては

 

あるいはプラグマティズム

 

なんといいますかいまの世の中でいわれる⇒みぎ

あるいは左

のやつで

ぜんぶ左のほう向いてると思うんだよね

 

オレも←のほうにシンパシー感じるんだよね

もう変えられないよこれは