春アニメのそろそろ終了で
思い出したのだが
なにかをするための時間はますますみじかくなっている
われわれは
サブスクによって音楽を
そして配信の動画映画ドラマを
いくらでも聴いて見ていくことができるわけだが
できることとそれをすることはぜんぜんちがうのであり
結果的にオレがネトフリを買っているにもかかわらず
ほんのちょっと弁護士をみて水星をみて
あとぜんぜんみていないのは「そのためのまとまった時間を
確保しようとしていない」からであり
なぜならそんなまとまった時間など
そもそもないからである
だから意欲と決意と決定することの選択がないとだめで
選択には負荷がかかるかかりすぎる生活をしている
いっぽうで音楽や1分のShortsやTiktoKの2分ちょいとかそういう
みじかいものはこまぎれの時間に選択するまでもなくちょっと
スマホを手にとったらばイヤホンをみみにつけたなら
選択の負荷をかんじさせずになんとなく
なんとなく?
なんとなくそれを開始してしまってしかも短い細切れの
時間だということで「べつに時間をムダにしたわけじゃないし」という
Excuseまでくっつけてそれを結果的に鑑賞させてしまうのだる
Spotifyでオレが連続的に結局いろんな音楽を掘っている
のは連続でSpotifyが勝手にそれを流すからでありオレはそれを選択は
していないうちに勝手に耳がそれをきいているのである
オレがすることは「そろそろ」とかいってそれを止めることだけなのだ
ネトフリとかは時間を確保したうえでそれを
開始
したところまでやってそれがまたネット接続リジュームきれているから
開始までのラグもあるし結果として「長い」と感じさせるし
そうなるともうみないのである
すぐはじまらないとダメだし
すぐみれないとダメなんだ
あまりに我々は「Torelance]
低下しすぎている
あまりにも
音楽は耳にはいってきてくれて本当にSpofityはスキ
好きすぎる
音楽のほうが生き残るんじゃないかなーーー
しかしいっぽうで映画館の映画はまた特別をそこに付与しているのである
オレにとってはね
価値のありかたがぜんぜん違う