7月18日(火) 仕事に追われていなくても死ぬことは死ぬ

そうなんですよ

 

どのような迂回をしようとも最終的にゴールでは死ぬわけですよこれは

これは日ごろの生活が怠惰であろうとも勤勉であろうとも

同じことなんですよ

そもそもの「勤勉」って何を勤勉しているの>?>>

といま思いました

あんたが決めたことをやってるとしたらそれは

あんたのしたいことをあんたがしているわけで

それは「好きなことをしている」だけであって

別に全人類のためになる無私奉公をしているわけでもなく

善行ともかぎらず

かえって全人類にとっては有害かもしれないね

 

たとえば米作は大量のカロリーを作り出すことができるが

単一作物が大きい地面を占有して生育していることは

全地球環境からみてきわめて不自然な事態である

しかしまあ米作をおこなう水田耕作は毎年それができるという点で

きわめて「異常」だとは思うけどね

 

米作というといつも『土の記』を思い出すんだよ

あの上下巻を買って読んで覚えているということがオレはえらいと

思うねオレ史上でもきわめて特筆すべき出来事です

あんなに米作についての考えを緻密に表現した作はないね

 

何の話だっけ

 

だからどっちにしろ死ぬということは「救い」なわけですよ

六道輪廻から脱することができないとしても

本人のいまの意識はきえるじゃんね

なかったことにならなくても

本人意識さえきえてしまえば苦もラクも無かったということで

くるしみはなくなることは事実そうである

空であるという真理をはじめて体感することができるんですよ

どんな悪人も凡人もそれを体感できるだなんて救い以外のなにものでもない

 

朝からそんなこと考えるわけでしょ

夏のせいですお盆だったし(新盆)

 

だんだん盆のことを忘れていくんだよ日本人

たかが100何年の習慣だったんじゃないの宗教

どうかね

どうかねえ