映画「マイ・ブロークン・マリコ」について

下高井戸シネマ

オレの整理券は41番

せまいロビーに人があふれてたよ

人気あるねえ

 

しかしつらい

 

ストーリーは

 

実父がDVで酒乱で暴力をふるうのでマリコは暴力をふるわれ成長したのちには強姦されその後のマリコはつきあう男からの暴力を受け最終的には自殺したわけだが

マリコの唯一の

というかマリコこそがシィちゃんの唯一のダチだったわけで

シィちゃんが主人公なのだが

この話にはマンガ原作がある

マンガ原作派のやつらは映画に否定的な意見があるがそれが永野芽郁がシィちゃんではないというのであるが

何言ってんだバカか

映画は映画監督のものなんだよ

選んだのが永野さんなんだからしょうがない

原作通りとは

いう

あのシィちゃんの乱軌道ぶり

ヘビースモーカー

ブラック企業につとめながらクソ上司に口ごたえし

サボリ

しかしとつぜん自殺したマリコのニュースをTVでみてきいてしまうところから映画ははじまる

シィちゃんはマリコ  の遺骨を奪い

この遺骨を

(どうするのか)

どうするのかシィちゃんは考えていなかったのだ

そこから

 

そこからシィちゃんはロードムービー的にさまよいそして最終的には

日常に復帰するのだが

 

とにかく

終わっている(マリコはもう死んでいる)ところからはじまるので

シィちゃんのできることは

マリコとのことを思いだすこと回想

回想はたくさんあらわれる

子役のシィちゃんとマリコ

殴られていて青あざのあるマリコ

リストカットするマリコ

危険を認知していないマリコ

シィちゃんが何を言ってもマリコは変わらないのだが

もうそれはマリコが壊されている(精神的に)

からであって

それはDVを受けつづけたことでもう壊れてしまっている

のだと

いう

ふうに

あらわされるのだが

 

そんなことが現実にあるかといえばあるし

あるが

本当にこの世は醜いし醜悪な人間がたくさんいるし戦わないといけないし

いけないことだけはその通りで

しかし戦うことがうまくいかなくて自殺になることもあるし

この世に現実に自殺になることもある

あるんだよ

 

あるんだよということがその現実としてあることが

まったくひていできないし

シィちゃんも自分が何もできないことをわかっており

マリコのことについてはなにもできないことがわかっている

それがシィちゃんの憂鬱であり最終的に幻想のマリコに対して

大きい声でそのことを言うしかない

 

シィちゃんは

強くてでもいくら強くてももうなにもできないのだ

それでもシィちゃんは生きている

 

この映画は最後にちょっとだけ「救い」かもしれないことが起こるのだが

それは救いというにはあまりに

小さく微かで

 

観客の立場としてそれはまったく

ほとんど救いにもならないのだった

 

映画としての完成は完成しており監督と永野さんの

つくった世界の成果はオレは全きものだと思う

だから2022はこれがナンバー1だと思う

忘れられないような痛みをつきつけてくる映画だからだ

それこそ痛みという点では

 

絶望のことを書きつづけるような小説家のような

ものだと思う

 

見てよかった