映画「ジェーンとシャルロット」について

よくかんがえたら母子だわ

しかしこの母子はどういう成育歴なのかぜんぜんしらぬ

ジェーンの歴史もしらぬ

しらぬことばかり

 

まずは知らないまま書く

映画をみた

シャルロットの初監督作品だというそして映画は日本でのジェーンのライブ

の映像などからはじまる

シャルロットとジェーンが日本のどこかでまどをあけて緑を背景にして

向かい合ってテーブルとのみものをはさんで座って対座している

夕方らしくなんかの市町村のスピーカーからなんかの夕方だぜって音楽が

ながれる

ジェーン「なにこれ?」

フランスにはそういう公共を音楽で汚すような習慣はないとのこと

かしら?

 

まあそこでシャルロットが「ちょっとここらでドキュメントでカメラをまわす

という呈をとることで

これまでやったことなかったんだけどいよいよちょっとジェーンさんおかあさん

の姿をありありと観察したり質問したりしたいんだけど」というので

ある

 

そこかへんはすごくなんちゅうかストレートでそのままである

 

ジェーンはいうんだけど「あなた(シャルロット)はコドモのころからすごく

なにか秘密主義というか独立しているというか他人を寄せ付けないというか

あなたから友達とか恋人の話とか一切きいたことないしなにか近づきがたい

感じがしてたわ^ーあなたのこと叱ったこともないし^)(他のコドモはしかったりしてたんだけど)」

というのである

 

こういうオープニングからいろいろアメリカ(NYでのジェーンのライブ

1曲だけシャルロットも歌う)とか

もちろんフランスでのたぶん南仏?それともノルマンディー>?

みたいなジェーンのすむ家での姿とかあったり

 

シャルロットの娘かしら

かわいい女の子

と三世代ですごしたりアサガオのたねをまいたり

 

そういうアレであるドキュメンタリーである

 

なんだろね

 

なんかいろいろとこうストレートな言葉は

でてこないとしても

「あなたを理解したい」というこころとそれにともなう

映像の撮影だけでじゅうぶんにもう愛情といえるだろ

 

ジェーンのほうも「時がながれることが信じがたいことで

いつかわたしが死んであなたたち(コドモ)になにがあっても

そばにいられないなんて信じられない」とかいうのである

 

あとは女性としての老いに対する対処とか考えかたとかね

 

いろいろあるね

 

なんちゅうかオレは昔からシャルロットの顔が好きなのでもうこれはすききらい

の話しでしょうがないわけで

いまでのいまのシャルロットの顔も大好きなので

いいわね

 

でも比較するなら

アケルマンが母を撮ったドキュメンタリーで

 

こっち(ジェーン)は

おそらくテーマになりうるものは

コドモのうち一人を亡くしているということで

ケイトというのだが

なぜ亡くしたかは多くは映画では語られない

 

ではWIKIPEDIAにいくか

 

ううむ

ケイトはあれですねアルコールとドラッグのアディクションにくるしみ

2013にSuicideでということだそうだ

(”assumed to be Suicide")

 

ケイトのこども(あかちゃん)のころのスーパー8の映像とかも出てくるんだけど

 

この映画はジェーンが3人娘がいてそれぞれすべて父親が違うのであるところとか

 

シャルロットがジェーンに対して

「わたしは2番めの子供なんだけどママも2番めの子供よね、それについてどう思う>?」

「1番目のときは親も緊張しているけど2番めはなれてきてるし、要領のいい子になったりするし・・」みたいな

話しもあるのである

 

なんというか芸能人であるとかそういう話しをおおかたぬきにして

母とその娘のドキュメンタリーとしての価値があるんじゃないかと

それはすごく率直に語るというか

なかなかそこまで率直に語ることって難しいと

思うんですけどそれはジェーンもシャルロットもともに

芸能人であるということ

インタビューとか被写体になることに慣れているということ

が影響しているのではと思わせる

そして母として娘として互いのそれまでに言わなかったことが

あきらかになるしーんもあって

そこが見ごたえというものではないかと思った次第

 

荒れた天気でしたがラッキーにも雨にはふられませんでしたねオレは

伏見ミリオン座で鑑賞

 

あ~「アステロイド・シティ」のチラシゲットしてきたぜ9月かあ

遠い未来に思えるがすぐなんだよね