基本人間には「わるい人もわるくない人もいない」のではないか
そのときに「良い感じがする」こともあれば「悪い感じそのもの」である
こともある
だけで
「ワルイ人間」ではなく「よい人間」でもない
つまり
人間はカテゴリとして「主体」たりえないのだ(仮説)
つまり人間の多面性あるいは人間を他人から見るときの視点の複眼
ひとつに「決定または染め上げ」などはできない
どんな人間もだ
どうだ
聖人などいないというのはこのことだ
心の中身は自分にしか見えないのだしさらにいえば
自分でさえも自分のこころの「みたくない部分」は認識も
していないのだ(しかしたしかに存在する)
どす黒いものも透明純露(じゅんつゆ)も
あるんだよ
鉱石かならずしも宝石ならず
かわいいあの子の中身もときにはデビル