休日ほぼおわり(晴れ)

さて

 

・国際免許 とれましたというか申請成功

よかったねえ

・図書館で文學界の國分・若林対談(三回目)よんだ

うーむ

資本主義は人間をあせらせ働かせてあくせくさせる

それにさからって暇をつくると考えるようになり

あくせく働くのもアホらしいって気がつくのかな

・健診

女子のみなさんばかりの職場であります

放射線だけちょっと男性いたけどそこも女性たくさん

つまり女性職場ですなあ

まあバリウムがゲップがまんがたいへんで

したけどまあいいです

これからうんこですよ

・図書館本返してきた

工事はじまって駐車場ほとんどない状態なので

歩いていくしかないね(近いのでいけます)

それにしても1月から休むってこまるなあオレの命綱なのに

車であっちいくしかない

 

 

まだ1630だが絶食でうごきまわってつかれた

からいったん寝ます布団しいて寝ます

ねるのが一番だわ

明日も仕事だし朝はやいし金曜だし

はあ~であるよ

 

『離れていても家族』返してきたメモは図書館でつくったよ

なんちゅうか改めて気が付かされる日本の家族のヘンと

海外(英国)の家族のヘンである

まあ

「普通」とか「良い」はどこにもなんだけど

じっさい「これならよろしい」ようになるように皆努力していることは

本当である

ただし社会がこうなっている皆がこうしているからそれは「良い」で

それをしないやつは「わるい」という判断をするそして他人に強制する奴が

いちばんの悪い奴であって

それは日本国政府自民党日本会議神道政治なんとか

つまるところ「イエ」を守れとか言ってるバカのおかげで

悪いことを堂々とやってるのがこいつらだ

他人に強制しようとするんだからね

 

しかしそれはそれとして(別のこととして)

「集団我」という概念をしった

南博

それにつづいて品川知美も「家族我」という言葉をつかっていた

なんちゅうか

「自我」であるべき個人であるべきところを

なにかの集団

つまり家族

に仮託するそしてそこに一体化する

 

あとカイシャ我ってのもあるね

 

家とカイシャにひきさかれる日本人

家を過剰にすればひきこもり

カイシャを過剰にすると過労死である

どっちもアタマおかしくなっているのである

 

かなりオレは考えさせられるのである

「日本の食卓の夕食は母と子だけで父親不在」

「大人のお客さんを招かない家ばかりの日本」「閉ざされた」

つまり日本には「友人との社交」がないのである

 

もっといえば日本人は大人になると「友人」ではなく

「会社の仲間とか」とか

「ママ友の延長」とかだけの世界になるのである

こういうのは「個人と個人の友人の社交」じゃないのである

集団を基礎とした関係性だからね

 

アホか

 

という話である