夕方に散歩して

やっと12000歩いったわけだが

さて

さらに資本主義教団のつづきだが

人間というかオレは「自分を正当化したい」

「オレはひとつもわるくない」と言いたいという傾向が

強くあって

だからこう

前回との比較(なんでも比較しないとわかんないよ!)

前回はクビになったという名目があり

それで堂々とした無職をつらぬいて半年

だったのだが

そのときは正当化できるよね

「オレのせいじゃなくて首になっただけだ」と

 

しかしそこにはわざと誤謬をかくしているところもあり

「業績がわるくなっていったのはオレたちひとりひとりの

仕事っぷりの責任もある(これはあるね)」とか

「そもそもPTという仕事つまり厚労省が点数をつけるような

もうからない仕事へのなにか不満もたまっていた」のもあるし

「PTとしてのオレは業界内でこう一流にはなりえない者である」

というわりと経度の絶望もあったわけだ

 

あったねえ

 

さてそれで今回は自分からみずから無職選択つまり

こんな仕事やってられっか

であるが終わりが間近になるとちょっとした迷い

つまり「やめないほうがよかったのでは>?」

というのもわいてくるのさ人間だもの

 

しかし

 

結局オレはこんな会社でリスクをとるなんてごめんだよという

信念はゆらぐことはなく

つまりこんな会社で金もらっていてもしょうがない

というその会社への圧倒的なダメ評価があるので

まだよかった

オレはやめる選択は正解だと自分に言うことができる(これは

かなり嘘偽りなくそうである)

仕事内容そのものは別に嫌いではないが

 

そこにいる人間は全員好きじゃないし

教育というものを何も考えないでやってるから未来がなくなった

アホの人間たちであることはわかる

アホカイシャである(それは上司もそう言ってたからオレだけの妄信ではない

のであるーこれホント)

 

とはいえ社会全体がそんなに正しくもなく

つまりアホ

であることは全体に蔓延しているだろうことくらいはオレにもわかるので

しょうがない

どこにいっても同じだというのはある意味で真実なのである

 

とにかくオレもまた自分を正当化したい

そして仕事してるから最低限まともな人間だぜと

誰に問われてるわけでもないのに必死に社会に向けて言いたがる叫びたがるほう

の人間であることもまた確かなのである(器が小さいね)

 

しょうがないそれは認めるしかないね

 

だからどっちに転んでもあまりたいした違いは無いのだる

 

無理に仕事していても

仕事していない無職でも

どっちでもたいしてほめられたもんじゃない(つまり見積もりは小さいね)

ということだ

だったらどっちでもいいじゃんというのが今日の結論である

 

今日は3つも立ててしまったよ

・無職を軽んじてる気持ちがあるんじゃないのかねヘイヘイ

・資本主義教団の洗脳

・正当化したいんだ自分を

の3本です

休日はこうなのでこれからの無職生活では

書きすぎないように注意