『恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ』

特徴「群像」で連載されていた

コロナ禍と同時進行する

主人公が女性小説家である

最初は「わたし」であり名が明かされない

途中で苗字を呼ばれそして名前を呼ばれる

主人公は離婚している

ひとりぐらしである

母が入院して父を一時期同居させる

主人公はこどものころアメリカに住んでいた

当時の在米日本人つきあいのこどもたち

の中にいまでも交流のある人がいる

女性も男性もいる

主人公は都会にくらす

 

そしてなにも起こらない

 

起こらないのはウソで起こっているが

しかしそれは中間小説雑誌の小説ではないので事件性もなく

なにかの結果も結末も起こらない

主人公の母は入院するがその後どうなったとか

父は転んでしかしその後どうなったとか

とくになにも

その後のことも語られず

運命とか

なにかの流れの変化とかそういうものは起こらない

ただし文学作品の引用がされる

日本の昭和の作家ばかりである(永井荷風も出てくる)

 

オレが保坂和志とか興味をもつようになっていてよかった

そうでないと

こういう小説をどうやって読めばいいかわからなかっただろう

オレはこういう小説はただそのままありのままに書いておることを

読んでふうん

と言っていればいいと思っている

なにかそのあと思うときにあればそれが思うことであり

なにも思わないかもしれないよ

 

でも途中からオレのほうがドライブかかってちゃんと進み

読み終わるところまでいったからオレはなにかを

思っているし

 

主人公もこの作品の中でなにかをいろいろと考えたり

自分のことを考えたり離婚した男のことや

アンやカズのことを考えたりしていて

好ましいこともあればそうでないこともあり

そして他人と飲食とときにともにして

母の父の昔のことを思いだしたりして

そうそれでこれは帰国子女の話でもあるので

最初に語られるのがアメリカのプールのある風景とか

パーティーとかそういう話なのであるがそれ自体は

そんなにおおきく影響するほどのものでもないがしかし

印象的ではある

小説はこういうの

小説ですと言えるところがいいのではないか

なるべくそのようになっていきたいものだと思うし

オレはそんなにも中間小説をしたにみているのかと思うこともあるが

そっちはオレの好みではない(だから殆ど読まない)

というだけのこと

である

と思いたい