よる っ贅沢について考える

なんだろう危機にある人とか設定として厳しい環境だったり

ひどく大きい困難を抱えていたりまた葛藤が大きいとか

そういう

なにか強く大きい事情がないとそのお話しはインパクトや共感やサスペンス

を産まないというのもなんだかなあ

 

我々はみなそれぞれ凡庸にしてどうにもならん平凡さにあきあきしながらも

その平凡さこそが我々の生存を可能たらしめているものだと本能的に

知ってるからこそその平凡さを手放さなかったり多数派と同じように行動したり

するんじゃね^ーの?

 

それはつまらないもの詰まらない上にエキサイトもしないものだが

それでもそっちのほうがマシだと選択しているわけじゃんね

 

だからフィクションの中になにかそのような反動をもとめて

ような人は中間小説を読んでればいいんじゃないの

とかこれは悪口だな

 

オレはなんとなく思うのだが贅沢な環境(家にめぐまれている

金に困るが飢えてはいない

虐待をうけていない

いじめをうけていない

などなど)

があったからといってそれがために同情に値しないということはなく

どんな奴でもそれなりに内奥に抱えているものがありそれは

どうにも自分でコントロールできないからこそ不満や不安や

遣る瀬無さやさらにいえば不甲斐なさをかかえたままどうにも

最終的に死ぬまでこれでいいとはならないんじゃないの

どうなの

どうなのかしらそれはオレが他人様にきいてみたいわ

マジで

 

そういうことを考えてるわけですよオレはこうなんというか書くことを書いてる

ときに

はたしてこの主人公に対して他人様はどう考えるんだろうか?と

考えてるわけだがそれはウケがいいかどうかではなく

なんというか

人間でしかも他人であるという

ような場合にそこにいる主人公ははたして「人間らしく見える」のだろうか

と考えているので

贅沢な環境と当然として受け止めてるならそここそが非人間的な主人公

ということになるんじゃないのかと思うし

そうじゃなくて居心地の悪さを感じているならそれは主人公の個性なんじゃないの

 

居心地のわるさ

それかもしれんなあ