11月5日(日)

SUNDAY

素晴らしい

 

全て肯定するってそういうことじゃんえ

じゃんね

 

ふんふん

 

時間とともに人間は常にその時の主体

(で しかない)

になっているというとなると

その時の自分は過去の自分いまの自分はいまの自分

ということなのですが

それじゃああまりに過去の自分が忘却のほうにはいっていってしまって

すぐ忘れられたり消えていったりするのは勿体ない

わけです

マジで比較じゃなくて

当時のたとえば心底「時間が無駄に使われていく・・」と苦虫かみしめ苦いなあと

いいながら労働(時間労働)していた自分のどうにも破壊衝動的な憎しみ

みたいのはリアルに存在したわけでそれは比較してみて

他人の決定により金銭受け取る行為だからそこの苦く憎しみあるところから

逃げ出さない(奴隷だけど逃亡しない)

ような時間があったことは事実でそれはマジでマジで耐え難いのは事実としてあった

んだから

比較なんかで軽視すんなよ失礼だろ

 

いまがオレがなかなかつくるのむつかしいな^~と言っている時間とは

まったく別もので比較はできません

できませんえ

 

どうもそしていろんな

「無意味感さえあるような日本のド田舎の山のわきのドライブ」風景を

思いだすわ

秋田と青森と岩手のまんなかへんの県境に近いような山を越えていく道路の

寒々しいような廃屋しかない風景とかね

ぜんぜん美しくもないし人間もいないし

感情もわいてこないような風景だが

それはそれじゃんね

高揚するような絶景なんてあったとしてもドローンからしかみえないとか

そんなもんで

マジの「いい」風景はそこにいくまでがすごい大変で歩いてしかいけないとかザラで

風景にそんなの仮託するなんてことはしないほうがいいのではないか

そのときはそのときですよ

死にそうになってるような危険な場所だと脳がブーストするから

なんでもきれいにみえるし記憶補正もあとからはたらくんだよ

でもマジで雪山遭難寸前の風景なんてうつくしいし

滑落寸前の光景とか脳に焼き付いてしまうよね

生きてるのはよかった

思う次第

 

だから経験における憎しみみたいのはそのときの純なものはそのままの硬度で

取っておいた方がいいって話しですよ

 

いまのオレがそこそこ遣る瀬無いのはまたべつの種類の精神不安定だからさ

そんなんどこにでもあるわ

安住の地は無い