ここに3つ並べますが

・歯を磨く 歯茎を磨く(歯茎に直接歯ブラシの毛をあてて圧をかけ磨く)

・自分のしたい方針を定めこれをもって人生の課題とする

・少しずつやることで事態の収束をはかるようにエントロピー縮減に努力する

(このことはたとえば部屋の片づけは一気にはいかないので資源ごみは少しずつ捨てることで事態をなんとかすることができることをあらわす)(まとめて捨てようとするとそのもう大きい山になったときには手の付け方がわからない状態でカオスっており収束が散逸になるカオス)

(同じように勉強でも資格試験でもそれこそ書くものでも一日でできることはなく少しずつ重ねて積み上げていくしかないわけで)

(これはなんでも10000時間やればひとかどのものになるというような大きい数字から逆算なんかしても意識としてはそんなのいつだいってことになるが

積み上げてくときには先のことはそんなにここまでやるぞとか考えていないし考えたら遠すぎてどうにもならんと思うが

先までいってからふりかえればオレ的にはなんてこんなに遠くまでできるのかって過去における自分のありさまが驚きであるくらいのものになっている)

(かように過去は小さくみえる)

(視点がかわると大きさは違ってみえる)

 

3つならべました

カッコの中のほうが長いですえ

上の2つはあえて大きいものと小さいものを並べてみましたが

これが

なんとこれが40代後半を過ぎてからのところで

簡単そうにみえることだが実際それを自分の中でしみて実感して実践する

なんてのは

本当にそうなんだなと実感がないとできないわけで

歯磨きは実感が来るのが本当にむつかしいもので

しかし歯科助手さんから歯茎そのものをみがくんだよと

言われたときにそのときオレは本当にマジで「はぐき?を?」

という感じでマジその年までわかってなかったんだということが

わかって愕然としたものだがたしかに歯茎そのものを磨くんだよな

それまでローリングというか歯と歯茎に対して垂直方向に回していたが

そうじゃなくて歯茎そのものだよ!と言われた気がして

いままでいくら言われても書物を読んでも

「そうなんだ」「これまではそれに気がつかなかったんだ」ということ

何に気をつけるべきなのかがわかっていなかった(世間の人間は全員が

そのことを理解しているのだろうか?オレだけが見落としていたのか?)

のである

こわい話である

死ぬまでわかんなかったら虫歯今後も続出だったに違いない

 

同じように(同じように>>?)

人生においてこれをするという目標を自分で建てるということ

建築

たててそれを為すべく実行すること

みたいなことは果たして全員がそれをどこかで真剣に考えた上で実行

しているのだろうか???それともごくかぎられた0.5%くらいの人口

だけがそれをしているのだろうか?

決めてるのか?決める瞬間を覚えてるのか?

オレは昨日決めましたけどね

53歳でその秋のおわりにやっと決めたって遅すぎるとかいう

でしょうけどしょうがないマジでそこまでは決めてなかった(実感として)

のだからそこから決めるしかない

というかそれまで決めないで来てたのかって話で

もちろん人間は決めないまま生きてることができるのでできてたんだよ

しょうがないそういうことに時間がやたらとかかるということが

あるんだからあるものはしょうがないよね

と思うのであった

 

あといまから資源ごみの

スプレー缶(いま底にネジで穴あけた)

食用の油のびん(中を洗いきれないが油だから当然である)

を捨ててきます日曜だから回収なのです

これもどんどんたまるから

その後オレは油はプラの容器を買って燃えるに捨てるで行ってるんだよ

棄て方が問題なんだよ

なにごとも