なかなかたいへんだ’(「違国日記」最終回 フィールヤング2023年7月号)

感想

 

なるほどと思ったがこれは韜晦

に満ちてミチミチたお話しなのでそうなるということで

 

つまるところ最初の第一回いやさ2話に戻ってくるという

お話しで

1話があってから2話があったことに意味があるわけだが

つまり1話の時点では1話が未来だったわけだが

最終回は「2話が出発点だった」ことを再確認するようなものになっている

 

えっとだから1話が「実現しなかった未来」でもあるし

あるいはすこしだけズレた未来のパラレルなもの

とみることもできる

 

勝手な読者

 

たぶん本来は1話は「ある未来」でその未来はちゃんと2話⇒最終回

とつながっているはず

 

ということがスタンダードではあるんだが

 

オレがいま読んでいると1話だけが「斜めにある未来」に見えるわけです

 

そのくらい彼女たちはいったんこじれにこじれたあとで

そこにいるという形をとっている

 

ようにみえる

 

なぜかというと

槙生ちゃんが「あなたの自由意志を尊重する」というときには

槙生ちゃんはほんの1mmさえも「あなたに私が影響を与えるなんてことをしてはならない自己規制」をきつきつにかけているかけていたいと願っている

 

ようにみえるからである

 

それは「愛してる」という言葉ではまるでそうはならないようなフィットしないような感覚なんだろうきっと槙生ちゃんの中ではそうなんだろうと思う

 

だからおそらくは未来は槙生ちゃんと朝はズレているだろうし違う場所にいても底のほうに紐帯があるような感じ(ような感じというのが大切で「^||=~である」という断定定義ができないことがここでは重要)(

 

そのくらいのほうが理想に近いということで

はないだろうか

 

読んですぐの感想なのでこのように乱れた感想になるがRAWっぽくていいのではないか

 

あとなんというか長期連載のわりにはたとえば槙生ちゃんのことを好きなあの男性のことは別に彼は救われないというかほっておかれるというか最終回には登場しないものとなっておりそれはそれでいいんだが

いいんだけどね

 

名前がでてこないあたりがオレの認識の濃い薄いを思わせる

 

おなじく弁護士先生は最終回に出てくるものの揺らぎはじめたカレは揺らぎはじめたままの姿で最終回に登場してそのまま中途半端に物語から退場するのだがカレもまた別の世界で揺らぎからのなにか個人的な解決を身に着けるところまではいくだろうそれは別のおはなし

 

槙生ちゃんが姉に対してなにかを思ったりしたことは最終回ではなにかこうそれは特にいま重要度をもって描かれるものでもないという感じに置いておかれる

 

中心にあるのは結局朝がやってきて(迎え入れて)それにより槙生ちゃんが何を思ってどのように後悔してどのように変化してどのように朝に向かって言葉を発したかという

ことで

つまりこのお話しの主人公は誰だったのかということは

朝ではなくて

槙生ちゃんだったということになる

朝はあくまで「槙生ちゃんを変化させる媒質」だったことになる

(定義 媒質とは「その変化の媒体(Medium)となるものであって

音の振動であれば空気が媒質である)

変化する主体は槙生ちゃんなのだ

だから槙生ちゃんが主人公

 

そういうものの見方をしてもいいと思う

 

朝の成長の物語とみることもできるが

朝は結局なんというかはじめから朝であり

親が死んでどうこうはあるものの本質としての朝は

変化したかというと変化はしていないようにみえるのである

成長はしたとは思うのだがそれは成長という定型であって

変化というならば「そうではないケースとは違う方向に進んだ」のが変化

 

槙生ちゃんは朝がもし槙生ちゃんのところにこなかったならば

絶対にこうは槙生ちゃんはならなかったという形に変化している

だから槙生ちゃんが主人公

 

それでいいかオレとしては

いいです

 

なかなかたいへんだというのは

 

死ぬまで愛はそこにありつづけるということがたいへんだ

って思うってことで

 

なくならないし

 

死んだあとものこる

だぜ

 

それはたいへんだよ