12月8日(金)

このオレのいまの書く生活からすれば

金曜が区切り!でしてそれは金曜になると(おお ここで1週間たちました)

とわかるからですね

ファンキーフライデーもあるしね

そうです

そうなんです

 

いわき市立美術館」ー「青森県立美術館」を

考えた

いわきの常設展の中に若林奮の展示があるんだって(ついったで見た)

 

東北の旅

 

でも年末は公的施設休むからいかないほうがいいよ

(そうだね)

 

もうちょっと自覚を鎮めてね・・・

 

やってみんとわからんというのは

たとえば見切り発車ではじめてみたらどこにたどり着けばいいのか

わかんなくなって袋小路っていうのもそれいま体験しているけど

そういうことなのかな

とか思ってさあ~書くことそのものも

それこそおおきいほうでいうと「人生」もそうなのかな~~

でも「人生」のほうは大きいからさ~~

コントロールできる部分が比較として小さいわけじゃん

だからこその言い訳として「流されている部分がある」とかいうわけじゃんね

流されてるというか自分で決めたとおりにしたいのに

他人がそれを許さなかった(権限)みたいなことだと思うけど

 

なぜなら他人もいて構成されてる社会の一部としての存在が自分だからさ

 

賞とって金もらう予定に決めていたが賞を決めるのが審査員であって

オレではなかったっていうね

そういうことジャン

 

M-1とか見てると本当に

「面白い」ではなく「面白いということにするところに無理に

ランキングをつけて決勝とかいってもりあげるそして注目を

あつめて金もあつめる吉本のイベント」であることは明白

なんですけど

吉本がコントロールできない部分もその中にあるからやってるわけで

社会の大衆もそこにSNS参加するわけで

もし100パー吉本コントロールだったらこんなもん見てないわけですよ

 

とかね

 

まあそれは他人様が人生をこれで食うことにしたらいいなあと

いうからそうなっているわけで

 

しかしたとえばこうオレは

モグライダーがかつてオレが勤務してた職場にきて

テレビロケ

やってたり

楽屋としてあてがわれた一室(会議室)がバックヤードの中にあり

従業員とかがうろうろしている中

朝に開店前にやってきてラーメンくってそしてすぐ帰る

というモグライダーのふたりをオレは背中を見ただけだが

 

ぜんぜん「芸人は働きたくないやつがやるんですよい~~|」

なんていうのは感じなかったし

芸人ってラーメンくいたくなくても食う仕事があったり

おもしろそうな雰囲気ださないといけなかったり

てーへんだな

って思ったよ

だって背中がぜんぜんウキウキ感じゃなかったからね

 

まあ職場なんてもんはウキウキしている人だれもいないんだけど

 

それがオレの永遠の小学生としての疑問で

 

この社会はどこにもうきうきしている大人がいない

なぜだ

 

とか思うんだけどね