少々の戦慄

いま自分の書いたオレの日記

を観て

「お菓子を買い込んであって

うれしい」という文言でちょっと

戦慄

した

ぶるっときた

 

それは「他人としてのオレ」がこの日記を

読んで

なんと思うだろうかって話で

おかしでうれしい

というひらがなの並びが

あまりに現実のこの初老の男性と

かけはなれているような気がしたのもそうだし

 

かんたんにうれしくなるんだなとも思うし

 

あるいはおかしばっかりでアディクションですか?という

おそろしさもある

(甘いものはある意味嗜癖そして依存であること

もあるとは思うがもう酒もたばこもやらなくなったので

おかしを食うくらいいいではないか)

おかしで糖尿になるもの腎臓をいためて透析になるもの

おそろしいねそれは

 

それは自分のことは自分でという自分だけのウォッチングで

自分では気が付かないうちに

ノーリターンで

手遅れ生活習慣病になっていることもあるだろう

って話なのです

 

だから

運動はオレはけっこう恐怖感をもってそれをしている

(運動しないとおかしでおそろしいことになるぞ!)

みたいな

感じ?

もあるのかもしれない

 

そうではないのかもしれない

 

とにかく「おかしくなっている人」は

自分本人ではおかしくなっていることに気がつかない

気がつけないのである

自分で「自分は自分を客観視できてますから」といいやがるやつが

できている試しがないのである

 

だからそれはこわいよね

 

床屋に刃物もたせてヒゲをそってもらうのと同じくらいこわい

 

 

たまには顔剃りやってもらいたいけどね

 

そういうわけでこわいこともあるということだ

 

がっこうがあってまだよかったねと

つくづく思いますよ

 

人間と話すことができるからね

 

話さないと本当におかしくなるだろうから