今日は図書館2ついき(いつも2つは行きますよ)

合間に読書も進んだが

やっと改心して買った雑誌をなるべく読むようになってきたので

文學界

「ジャニーズの感触――むしろ芸能スキャンダルとして」矢野利裕

をちゃんと読み終わって

何がポイントかといえばやはり

ジャニーズにおける男児男性レイプ被害の中でも

被害者でさえもジャニーズにおける歌と踊りの芸能の

なにか文字にし難い熱狂と歓喜への愛慕がまだある

というところがポイント(死活的)なのではないかと思って

それはどんな芸能にもあるような

魅力と最悪の同時二面攻撃で

愛するとともに攻撃するみたいな

家族が愛情の名のもとに自分でわからなくなり結果的に攻撃して殺すような

くるってしまっているような

そういう部分が芸能にもあるという

こと

をみれば芸能を目撃してしまうすべての人間にとって他人事ではない

ということ(大げさではなく)

 

なのではないか

 

ここでオレは自分の父親のことを考えるわけだがマジで

こう

なんというかそういう人間っているんだなあと思うのだが

「小説やドラマや映画などのフィクションを理解することができない」人間

なんですねえ

だから何かのファンになるとか愛好するということが

なにについても全く

できない

そういう人間もいるんですよ

ちょっと信じられないけど最終的にそうだったんでそうなんですわ

 

だから趣味があるようで趣味がなく

銭を数えるのは大好きで

友人がいるようで友人なく

いやしかしそれを「くるっている」とは

オレは言えないわけで

どっちかというと世間様はこういう人物のほうを「正常」といい

芸能なんかをファンですという輩のほうを「くるっている」と

いいかねないのである

 

おそろしいわ

 

そしてあとはニュース7(夜のニュース)をみていて本当にどんどん

そうなっているのだがマジで心底あきれるくらいにくだらない下賤の悪しか

いなくなってしまいあきれはてるくらいのくだらなさの人間の事件ニュースしか

やらなくなってしまったので

まったくもう見るに堪えないのでBSにしたらBSは世界ふれあい街歩き

ロンドン(チェルシー)(ちがった メイフェア)をやっていた

優雅ではあるがロンドンとてこの浮世のくだらない連中に汚染されてるのは

逃げ場のないことなのであるわ

 

所詮

ってやつだ

 

人間に下等も上等もなく全部が下等だいうなれば

 

とか思ってしまう

はあ

現代

混迷の現代

音楽しかない

生きるに値するものが音楽しかない

 

音楽は比喩であり(わかりにくいね)

音楽も映画も小説もマンガもすべてフィクションでもある

それらがないとオレは生きていけないしそれが生きるに値するものであって

オレにとって他人はそうではないってことなんだろうなあきっと

とか思ってしまうね

でも他人がそういうのをつくってくれないとオレが鑑賞できないからさあ

そうですね

人間関係の話だよ

そういうのはいらんっていう