浮かれ街

ひさしぶりに静岡市いって

ほんとはその前は「ほかげ」みようかなと思っていたが

なんとなくそんなに気分が「戦後すぐ売春で生きてる女が」みたいな

みたくないなあと思ってたので屋根裏アニメをみたのね

そういう気分だったから

 

そして静岡市は浮かれ街だった

若い子が「街」にくりだして

セノバ(駅ビル)は混んでいて

エスカレータに警備員がいた

これが「浮かれ街」である

名古屋とかそうだよねタカシマヤタワー

まあ

そういう若い子たちとか家族連れとか

 

そういうのとはもうオレは永遠に違うルートを歩いているのだな

改めて思ったね

正月ももう実家にいけばずっと実家にいるし(わざわざ

初詣いくべとか誰もいわない)

(じっさいは母親がなんかいいかけたが他の3人は

まるででかける気がない)

(父親はもう85を超えてるので自分からどっかいこうとか言わない)

(オレときょうだいは実家にいるだけで疲れているのででかけたくない)

ので家にいるのであった

 

はたして実家にいて誰かきたかといえば

いとこが1名きた(いとこいうてももう還暦だ)

あとは叔母一家と一族(いとこ2人の家族)がどっときてどっと帰っていった

めでたし

 

どんどんシンプルになっていく

年越しそば食べないとかもシンプルである

もうだんだん

なにもできなくなっていくのであるめでたし

 

モブさんが「介護とかできればしないですむならしないほうがいい」と

書いていたが

まさに「人間の老化の世話とかしないで済むならしないほうがいい」である

しかし現実には誰かが世話しないといけなくなるのだる

だる

誰かがね

金をつかってサービスさせたり

あるいは労力を使う(金をはらわず自分でそのサービス行う)のである

実際問題そうである

そうなんだ=

これからがオレの正念場ってことだよね

マジでね

金をつかうにしても決断で

たちきりたちきりである

浮かれ街にいるやつらはそういう現実とはまだ無縁である

そうだね

まあしかし実際はどうなるか誰にもわからないのである

そういうこと考えながら夕食をくい

あと3日分の18きっぷの使い方を考えるのである(今日1日ぶんつかったのよ)