映画「屋根裏のラジャー」について

正月3日静岡市で鑑賞

 

いやー

泣かされたし

さあ

展開も読めなかった

いい話だ

テーマは「思いを続けること」のことだと思う

 

以下ないようにふれます

・・・・

 

 

 

 

 

 

・・

 

 

 

 

 

思うんだがどうしてもオレのわるいくせで

リアリティはここでは考えなくていいのに

リアリティレベルのことを考えてしまう

 

いちばん困るのはこの「ラジャー」少年は

想像の産物なので

あの女のコには「見えている」存在で「話ができる」のだが

母親には見えていないわけで

その差異を1つの画面の中で認識をオレのほうが分けて考えないといけない

のだ

それは困るじゃん

 

あとイマジナリーは透明じゃないの?どうして物理的にものにぶつかるの?

 

イマジナリーが消えるのはそれを想像した人が忘れたときあるいは

死んだときだけというルールなの?

寝てるあるいは意識消失中はまだ消えないの?

母親は「忘れた」わけじゃなかったの?

そこの峻別どうしてるの?

イマジナリーが「仕事にでかける」のは個々の意思で

仕事を「選んで」るの>?

なにもかもわかりません

 

そういう世界だったらおもしろいね!だったらいいんだけどね

 

それだけでいいのに「敵」がいる以上は

その敵は

敵としてもっとはっきりした敵であるべきだと思うの

もやっとした敵だから倒し方もわからないじゃない

 

なんか敵のつれてる「従者」みたいな黒い子が

結果的に敵を消滅させたんだけど

なぜその黒い子がその行動をしたのかの動機がオレには

わからないの

そういうのが

困るの

 

まあでもラジャーくんが奮闘してる姿にひきこまれたからこそ

オレが涙してしまったのさ

それはそれでいいのです

 

すいませんね文句いって