考えることといえば
昨日の21世紀美術館が一定の限定された層の人間しかいなかった件
である
なにかこう「大衆はそんなに簡単にそういうそれがみんなのしていること
なのだからそれをしていればいいんだよを信じるとはびっくりだ」
である
みんながそれをしていることがわたしもそれをするという理由で
それ以外の理由がいっこも無いのであれば
それはもうわたしの選択ではなく
集合体としてのみんなに一体化したもので
選択もクソもありゃしない
ということにオレはおそろしさしか感じないのだが
かれらやつらは何とそれを是として当然として疑うことなく信じている
ようなのである
なんと
そんな模糊模糊した集合体にとりこまれる融合するなんてことが
気持ちわるいと感じずいっそ快感にたゆたっているとは
ってオレなんか思ってしまうわけですが
こういうふうに感じる感じというのは20世紀においてこられた
のでしょうか
あるいは「個性」とか個別性とかそういうことばが
もう垢がついてきたなくまみれてしまった結果で誰もそれをかえりみなくなって
しまったのか
誰も一人で行動する人間がいない街なんて
おそろしいだけで
恐怖都市
そういうコンセプトでおはなし一冊つくれないかしら