”現実的な計画”など存在しない

なぜならば

計画は

未だそれをしていない(はじめていない)という段階で

現実的であるかどうかのジャッジを経ていないからだ

 

というのは詭弁なのかへりくつなのか

 それはともかく 

 

計画がそこにある以前のこととして

「〇をしたい」という欲望あるいは

「□という状態になりたくない」という否定形の欲望があるのである

(□を避けたい)

たとえば貧困 家無し 家はあっても他者に隷属した状態

など

 

〇をしたい

主に自尊心のそれによって成立する(オレの場合)

つまり

できれば誰からも命令されず

自分の意思によって仕事をしてそれを日々の糧として

生命をつなぐ

金銭対価を得るものもあれば直接食物であるものもあろう

それで

できるかもしれないと脳内で思ったのが農業というわけだ

 

あくまでできるかもしれないだけですけど

 

自分の好みの家を建てたいというのは結構二の次ではあるが

夢として現実化したいもののかなり大きい順位上のほうでもある

なにしろ

ずっと実家とアパート(仮住まい)にしか住んでいないのだ

 

ここがオレの終の住処だと言えるような状況は果たしておとずれるのか

 

実家はオレの住処ではない

あれは親の家だ

オレのじゃない

相続したとしてもオレのじゃないね

本質的な意味で

 

そういうわけでこわいこともあるが

なにしろ

なにか

それをしたいならやってみればいいんじゃないの

失敗必ずするし

破産すれば生保だお

 

そういうこともあるし

餓死ってのもあるんじゃないの

癌死が先にきてほしいけど

 

今週は土日でラーメン食わなかったので

どっかで食うぞ

 

火曜が祝日(文化の日)なんだよ

余計なもんいれやがって

 困るんだよペース乱されるもん

 

今日みてきたアプトいちしろキャンプ場だが

11月末でクローズで

もう土曜は全部予約で満員です

大人気

 

こういうことになるとはコロナ前には

思われなかったんだろうね

コロナのことによりアウトドア系はすごく伸びた

 

一方でジェットタオル機械の業者などは首をくくるであろう

 

この世は現実的であろうとしても突発的事態が

どんどん起こるのである

 

人の縁などふってわくようなもんではないのか

 

ほっつき歩いているとぶつかるものではないのか

 

どうでしょう