家庭と教育こそが

わからんなりに

 

アナキズムにおいても他のウルトラライト思想においても

「家庭」と「教育」は人間社会をつくる上で

議論のまとであり

 

なぜならばアナキズムにおいてはオレの理解では

個々の個人がにんげんとしてあるいみその考える機能をもった上で考えて行動する個人が社会を結果としてつくるが集団として社会はこうでなくてはならないという規範などは一切存在しない(しないけれどもだからといって社会がアノミーに混乱に略奪に覆われるのは困るとは思っているーそのための教育だ)

 

ウルトラライトのことはちゃんと調べていないがこれまでオレが知るところでは

家庭もまたその敷衍としての(!)社会でも「結合体としての家庭または社会はこのようになっていなくてはならない」という規範が先にあってそれに従うように人間を作り上げていくのは家庭の機能であり教育の機能でありしたがって家庭と教育は一体であり同じ目標をめざすものであり社会をつくりあげるのは指導者の指示に従うことのできる脳である(書いてて気持ちわるい)

 

ウルトラライト(右翼)ってほんとにそんなこと考えてるの?

わざと誇張して書いてみたけど

 

ライトの人にきいてみたい

 

でもライトの人は「これこそが本流でまんなかだ」と自覚してるらしいから

「私は右ではありません」っていうだろうな

ひでえな

 

一方で教育こそが(あるいは家庭が)アナキストにとってもキモであり

アナキストの中に教育についての議論がおおきいらしいとWIKIPEDIAをみて

知る

教育は相互扶助の一環だ

という意見もあれば教育環境は自由になっていなくてはいけないというのものあり

しかし現実として最初の部分ではこの社会では言語をこのように使っている

というルールや数学のような記述のルールそして科学の考えかたのように

再現することのできる過程があり因果ー原因と結果ーをひとつの結論として記述することのできるエッセンスがこの世にはあるということ

を教え込まないといけないのであって

そこは理解してもらわないと共通土台ができないのでしょうがないので一方的に教えるしかないのであって

そこに「自由だから教わらなくていい」とかいいだすとその子はなにもしらないままに育ってしまうのでそれは教育のハンディキャップになってしまう

困ることになるのである

知らないことは困ることなのだこの社会では

 

それこそ税制がいちばんそうなんだけど記述が

理解できないという理由で税制を理解しようともしない日本人が多すぎるので

自分たちがいかにどのようにどのくらいの金を行政にもっていかれているのか

理解していないのである

 

まあ行政がこっちに理解させないようにしているんだろうけど

 

行政とたたかうためには行政がなにをしているのか理解しなくてはいけないのである

 

だからオレはウルトラライトの思想も調べるし行政がなりたつ基盤についても調べるのである