「ちくま」2023・12月号に保坂氏の中江丑吉についての記事があったのでこれ
連載かと思ったら
2024・1月号にはないので連載ではないのか
(いや 10^11^12ときてここは休載みたいだお)
オレが忘れないように中江丑吉についてここにかいておく
つまり森戸事件の話である
この日記で森戸事件の話をたしか前にも(12月号をよみにいったときに)書いた
と思うが
今回は昨日読んだ『行政学講義』の中身とリンクするところがあったのであらためて
書く次第
さて
つまりまずは
『行政学講義』で語られるのは官製官僚とはなにかという起源であって
明治維新で「元勲」にあたるような勝ったほうの幕藩要人たちが
明治政府の中心職についたわけだがかれらはもちろん選挙で
選ばれたわけじゃない
しかし政治は中心の手足となってはたらく人間が必要であり
コネや薩長土肥だけでかためてもよかったが
人数がたりない
能力がたりない
などの理由により結局科挙とかも参考にして大学制度と試験をつくって
官僚になる人材を育てるために学校をつくったわけだ
(民主的などうこうという思想はかれらの中にはない)
それで
中江兆民はともかく(兆民は1847生まれの江戸人間であり 岩倉使節団にも参加しているように まだ維新の人である 高知の人だしね)
その息子の丑吉は新しい時代の子でありそれこそ東京大学(帝大)に進学した明治22年生まれである
兆民が第一回衆議院議員選挙で当選した世代だが丑吉のときはもう帝大にいったらコースは「大学教授」か「官僚」かのどっちかしか考えられないくらいのもんで
そのために帝大にいったんだろ?ってなもんで
しかしそのころ(1920)森戸事件が起こる
丑吉は31歳で
1914からの北京生活の最中ではあったが
この森戸事件つまり大学の経済の人間が
政治思想的なクロポトキンのよいところを論文に書いた(無政府主義礼賛ととられたー右翼から)としてつかまってしまうわけだが
丑吉にとってはなんかショックだったらしい
という話になっていく・・・
ちくま2023・12月号のやつだけ読んだ
で
オレの関心がどこにあるかといえば
なんとかアナキズムを
人間思想というか
そもそも人間が助け合うだけにしとけ組織なんかつくるなよって
オレは言いたいのだが
そればある意味でもっと素のアナキズムだと思うんだが
それでいいのか
他人はどういっているのか
オレがオレの理想を実現するにはどういう形を考えたらいいのかな~~
と思っているのがこの話のもともとの根っこである
あと記事の編集の方法がわかった
ダッシュボードー記事の管理
だ